南国 大正2年 各208.3×373.2p 絹本着色 
 関雪は神戸生まれですが、旧明石藩の儒者・海関を父に持ち、播磨地域にも度々足を運んだ、当地にゆかりの深い画家です。この作品を発表した1914年にも、1月に三木、5月に姫路に寄り、6月6日には明石に蟹江鱸白荘というアトリエを設け、7月と10月には姫路に滞在するなど播磨を頻繁に訪れました。その関雪が「南国」について姫路の『鷺城新聞』に記していますので引用します。
 「私の出品(注−文展)は南国(六曲屏風一双)後園(同)二点で昨年支那漫遊中の所見で印象派の画風を斟酌して描きました支那趣味の強烈な原色を用いたものです。去年の麦仙君(注−土田)「海女」以上に奇怪な画です。支那の南方に行くと舟一面に群青や緑青で絵を描いた船や真っ赤に塗った舟が沢山あります。それが帆を張って行くと夕陽を帯びて帆の古びた色が恰度金箔を押した様に見えます。揚子江一帯の黄濁れと相映じて印象派の画を見る様で実に面白い。それを描いてみたのです」(1914年10月14日)。
 中国の風物に制作欲を刺激され、彼に強烈な印象を残した光景を洋画のような写実ではなく、金箔で象徴的に表した本作は第8回文展で二等賞をとりました。関雪と言えば、父の影響もあって自ら漢詩文を嗜むほどの漢学の教養を持ち、中国文人へのあこがれも顕著な作家であることは、つとに知られるところです。それが1913年の中国旅行及び『南国』やその他の中国的画題の作品制作へとつながっていくのはもちろんのことですが、同時に印象主義や象徴主義などの西洋絵画のものの見方をエッセンスとして導入することにもやぶさかではなかったようです。ダイナミックな構図と鮮烈な色彩で見るものを圧倒するこの作品はまだ若かりし関雪の制作への強い意欲を感じさせます。
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