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姫路市立美術館 Himeji city museum

姫路市立美術館の概要


姫路市立美術館は、姫路の文化の高揚と郷土作家の育成を担う美の殿堂として昭和58年開館しました。

常設展示、国内外の名品を集めた特別展示はもとより、教育・普及のための各種イベントの開催など多彩な活動を繰り広げています。


企画展示室
教育普及活動(H21美術館に鯉のぼりをあげよう)

平成15年、平成19年、平成23年度にリニューアル工事を行いました。

平成15年、19年の工事では、 ボランティアルーム、アートライブラリー、コレクションギャラリーが新設されました。
ボランティアルームはボランティア活動の拠点となる場所、 アートライブラリーでは、画集や雑誌などを閲覧することができます。 コレクションギャラリーは当館の所蔵作品(10点程度)を無料で観覧いただけるスペースです。

平成23年度の工事では、企画・常設展示室の床・壁の貼り替えや多目的トイレへの改修などを行いました。


アートライブラリー
コレクションギャラリー

館蔵品は、日本画、油彩、水彩・素描、版画、彫刻、工芸(東山焼・刀剣)など多彩なジャンルの作品を網羅しています。

姫路を中心とした郷土出身の作家、郷土の風物を描いた作品など、郷土ゆかりの作品に加え、姉妹都市提携が縁で収蔵する運びとなった、ベルギー美術のコレクションや、ロダン、ブールデルの作品など、世界的な名品、名画の収集にも力をいれています。


クノップフ
「天井画-絵画、音楽、詩歌」
松岡映丘
「宇治の宮の姫君たち」


施設のご案内


 

明治時代の建物(明治末~大正2年建築・旧陸軍第10師団の兵器庫、被服庫)を保存活用。世界文化遺産・姫路城の東隣にあり、緑の芝生に囲まれた赤レンガの建物はとってもおしゃれです。

夜間はお城と共にライトアップされ、昼間と異なった景観を見せています。また敷地内には彫刻などが配置され、散策しながら、芸術鑑賞を楽しむことができます。
なお当館の建物は、第1回兵庫県緑の建築賞(昭和60年)や環境色彩10選公共の色彩賞(昭和63年)を受け、平成15年には国の登録有形文化財になりました。






初めての写真

写真をご覧下さい。明治43年刊行の「姫路城修繕記念写真帖」に掲載された一枚です。現在のところこの写真が初めて写されたレンガ館です。姫路城は何度か修繕をされていますが、明治43年7月より一年かけて大天守、小天守など修繕工事が行なわれました。本写真帖はその修繕記念に発刊されたものです。
工事は城の東側に足場のスロープが組まれ、写真はその一番上から東に向かって撮ったものです。左の木々の間にレンガ館の屋根が見えます。現在の美術館はL字型に二つの棟が連結されているのですが、北館からは大正2年の棟札が発見されており、写真に見える西館は明らかに明治43年以前に建てられたことが分かります。

軍都・姫路として明治時代からお城の周辺に第十師団がおかれるなど、城は軍隊と密接な関係を持っていました。それだけに軍の倉庫であった当館の建物に関する資料も少ないようです。

*「美術館だより第86号」(平成17年4月15日発行)より転載






赤レンガ館の兄弟たち

姫路市立美術館の赤レンガ館に大勢の兄弟がいたことをご存知でしょうか。明治の終わりごろから大正時代にかけて、主に陸軍の各師団には当館と似たレンガ造りの倉庫がいくつも建てられました。しかも標準設計図が存在したらしく、大きさもほぼ統一されて、何点かの共通点があります。

  • 煉瓦造り2階建てで切妻屋根
  • 小屋組は木造でクインポストトラスをとり、屋根裏には3階が作られている
  • 梁間が8間で、中央2間が通路となる

などです。
他にも窓の形や開閉、建物の両端に階段があるなどあげられます。

さて、当館のように現存し保存活用されている建物はどの位あるのでしょうか。比較的知られている金沢の兼六園に近い旧陸軍の第9師団の建物。現在は石川県立歴史博物館として現役で、明治42年、大正2,3年の三棟が残されており、建設当初の形を止めているため重要文化財に指定されています。
近いところでは香川県善通寺市の第11師団の三棟は現在陸上自衛隊善通寺駐屯地となっており大正2,3,10年建設です。他では明治42年建築の広島第5師団倉庫(現広島大学医学資料館)の一部が残されています。今は少なくなってしまいましたが、当館の明治38年から善通寺の大正10年の建物まで4都市に残るということになります。
近くに行かれましたらご覧になってはいかがでしょうか。

*「美術館だより第87号」(平成17年7月20日発行)より転載


石川県立歴史博物館
陸上自衛隊善通寺駐屯地





赤レンガ館の煉瓦はどこから来たか

当館の赤レンガは数万個の煉瓦を積み上げて出来ているわけですが、これだけの煉瓦はどこで作られ、どのように運んで来たのでしょう。
この疑問を解く鍵が煉瓦に刻まれた刻印にあります。西館の西面南から二番目と三番目の柱の間、地面から1メートルほどのところにたった一つだけ刻印を見つけました。下の写真Aです。これを舞鶴の赤レンガ博物館に調べていただいたところ、大阪窯業という会社で造られた煉瓦であることが判明しました。

それが縁で「日本煉瓦史の研究」を書かれたレンガ博士、水野信太郎先生を紹介していただき、7月に当館で「赤レンガ100年、その大きな流れ」という講演をして戴くことにつながりました。
明治末から大正にかけて近畿地方は煉瓦の一大生産地で遠く中国地方まで運ばれたそうです。丸に三本の線の入った刻印は、明治21年創業の大阪窯業が堺、貝塚あたりの工場で生産していたものですが、水野先生来館のおり×印の刻印を数個見つけてくださり(写真B)岸和田煉瓦(株)のものも含まれていることが分かりました。皆様も御来館の折は煉瓦の刻印を探してみませんか。

*「美術館だより第88号」(平成17年10月28日発行)より転載


(写真A) 丸に三本の線の刻印
(写真B) ×印の刻印






屋根裏の秘密


最終回は非公開部分ですが明治時代の俤が残る屋根裏の秘密をご紹介しましょう。
実は昭和56年の改築に際して、大正2年建設の北館はレンガ壁だけを残して天井他すっかり解体の上内部に別の躯体を建造しています。しかし、西館は屋根裏の木造小屋組みが存外しっかりしていた為か、そのままの形で使われ今も建設当時の姿が確認できるのです。

これは第9師団の金沢の歴史博物館にも共通するのですが、屋根裏中央にキャットウオーク(写真C)と呼ばれる台形の廊下が突き抜けているのです。人が立って歩けるほどの床張り廊下は、市役所時代倉庫代わりに使われていたと聞いています。

もうひとつ未だに謎としか言いようのない鉄棒列(写真D)があります。屋根裏の横木に23センチ間隔で、長さ13センチほどの鉤型の鉄棒がびっしりと打ち付けられているのです。皮製の鞍や牽引道具等の馬具を吊るしたと推測する人もいますが、確かなところは不明です。 頑丈な木組みを見ると、ひっそりと人目にふれない場所で長い歴史の重みを支えてきた木々たちに愛着さえ湧いてきます。

*「美術館だより第89号」(平成18年2月14日発行)より転載