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「網干」の名の起こりは魚吹八幡神社(うすきはちまんじんじゃ)の放生会(ほうじょうえ)が行われる日、氏子の漁師が殺生をやめて網を干してお参りをしたことから、周辺を網干と称したことによるといわれています。古くから開発の進んだ地で、江戸時代に至ると当初は姫路藩領でしたが、のち天領・龍野藩領・丸亀藩領等に分かれるなど複雑な様相を示しました。古社・古寺も多く、文化財に富んだ地域です。 |
| 網干まちなかあるきキャラクター |

網干まちなかあるきのキャラクターは盤珪禅師と田捨女をモデルにしています。
盤珪禅師(ばんけいぜんし)と龍門寺
龍門寺は、盤珪禅師が丸亀藩主京極家の保護と網干の豪商佐々木家の援助を受け、寛文元年(1661年)再興した寺で20余りの堂が並び播磨屈指の禅宗寺院です。盤珪禅師は浜田に生まれ17歳で出家、全国を修養し、難解な禅をやさしく説きました。
田捨女(でん すてじょ)と不徹寺
龍門寺の南東にあり、元禄元年(1688年)丹波柏原生まれの田 捨女が開いた寺。捨女は6才の時「雪の朝二の字二の字の下駄のあと」の俳句で有名。 |
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