秋の姫路城 藩財政を立て直したスーパーヒーローかわいすんのう江戸時代末期の幕藩体制において、諸藩は財政難に苦しめられていました。 姫路藩も例外ではなく、藩主・酒井忠道の頃には借金は藩収入の約4倍に当たる73万両に達したといわれています。 その際、藩主から財政の改革を命じられたのが河合道臣(寸翁)です。 藩の莫大な負債を完済した手腕は、いったいどのようなものだったのでしょうか。

姫路城

○開城時間/午前9時〜午後4時(4月27日〜8月31日は午後5時まで)○入城料/大人1,000円、小学〜高校生300円○問い合わせ/姫路城管理事務所 電話 079-285-1146

特産品の専売制で藩の財政を立て直す

河合道臣(1767-1841)は、姫路藩・酒井家の家老で、一般には晩年の号である寸翁の名で親しまれています。21歳で家老となったときの藩主は、江戸時代の代表的な茶人の一人として知られる酒井忠以(ただざね)。寸翁自身も茶道をたしなむ文人肌だったといわれています。

寸翁が財政改革に取り組むことになったのは、1808年(文化5年)、42歳で諸方勝手向(しょかたかってむき)(藩の財政を統括する役職)に就任してからです。その改革の柱となったのは専売制。寸翁は姫路の特産物である木綿、朝鮮人参、塩、皮革、鉄製品などに着目し、生産を奨励するとともに、専売を行うことで大きな利益を上げました。

河合寸翁像 姫路市立城郭研究室 蔵 73万両の借金を返した男

中でも姫路木綿の専売制は藩の立て直しに大いに役立ちました。もともと姫路は、1697年(元禄10年)に刊行された江戸時代の農業に関する書物『農業全書』にその名が記されるほど、綿作が盛んな地域でした。しかし、当時、姫路木綿は大坂の問屋に買い叩かれ、値が下がっていたため、寸翁は藩が独占して江戸へ直送する専売制へと踏み切りました。新しい試みでしたが、江戸の問屋や幕府の許可を得ることに成功し、集荷・販売拠点となる江戸会所の開設が認められたといわれています。

領民を思い、藩の繁栄に尽くす

藩財政の立て直しを命じられたとき、寸翁は「元来君臣は一体のものであり、民貧しき時は君貧しく、民富む時は君も富むる道なり。善きも悪しきも一体のこと」という布告文を出したといわれています。藩の借金を返すだけでなく、民の暮らしを良くしようとした取り組みの一つに固寧倉(こねいそう)があります。これは凶作に備えて豊かな農民に穀物を貯蔵させ、平時にはその一部を低利で貸し付ける仕組みです。1846年(弘化3年)には288カ所もの固寧倉が設置されていました。

また、寸翁は藩の窮乏の原因が人材育成を怠ってきたことにあると考え、藩主から与えられた土地に学問所「仁寿山校(じんじゅさんこう)」を開きました。生徒を選ばず、教授も全国から広く人材を集め、江戸時代の儒学者・頼山陽などが訪れたことでも知られています。現在は井戸と土塀の一部だけが残っています。

今に残る寸翁の名残を探して 市内各地を歩きました固寧倉

中国の『書経』の「民は国の基、基固ければ国寧(やす)し」からとったといわれます。姫路市内には、妻鹿、野里、東山、中村(白浜)、刀出、夢前町塚本、夢前町戸倉の7カ所が残るのみ。

中村(白浜)の固寧倉

妻鹿の固寧倉

人参役所跡

神崎酒造

「純米酒 龍王の舞」は風味豊かでやや辛口。飲み飽きない魅力があります。
住所 姫路市船津町2033
電話 079-232-0004

鰻

森重

関西風の蒸しを入れずに香ばしく焼き上げた鰻が自慢。ミシュランガイド兵庫2016特別版で「ビブグルマン」を獲得。
住所 姫路市魚町126
電話 079-223-2517

姫路木綿にまつわる場所とモノ

江戸時代、姫路木綿はその白さと品質から「姫玉」「玉川晒(さらし)などと呼ばれて人気を博しました。御切手会所や御国産木綿会所が現在の綿町に作られ、大善町にある九所御霊天神社には、御国産江戸積仲間が寄進した鳥居や、木綿関連の有力商人の名が刻まれた玉垣が今も残っています。

また、姫路藩が木綿の専売制を行ったとき、他藩にも木綿の専売権を得ようという運動が起こりました。しかし、藩主忠実(ただみつ)の子・忠学(ただのり)と結婚する喜代姫が将軍家斉(いえなり)の娘であり、専売の利益を喜代姫の化粧料に当てることを理由として、寸翁は他藩の割り込みを防いだといわれています。2人の婚礼の際に作られたのが今も残る姫路銘菓「玉椿」といわれ、喜代姫の墓は今も景福寺に残されています。

江戸時代末期に盛んに行われた綿作ですが、明治に入ると海外から綿が輸入されるようになり、次第に衰退していきます。そのような時代背景の中、1880年(明治13年)に綿花卸業として創業した店をルーツにもつのが「棉屋」です。店主である澤田善弘さんは、綿雑貨や藍染雑貨の販売を営みながら、現在、姫路木綿の復活に取り組んでいます。綿のことにも歴史にも詳しい澤田さんのお話を聞くのも楽しいひととき。藍染めのワークショップもお薦めです。

玉椿も寸翁にゆかりがあったのね玉椿

伊勢屋本店

元禄年間の創業と伝えられています。しっとりした黄身あんを薄紅色の求肥で包んだ玉椿の名は寸翁から賜ったもの。荘子にある「大樹の椿」から、長寿の意味を込めて玉椿という名が付けられたといわれています。
住所 姫路市西二階町84 電話 079-288-5155

綿

棉屋

Tシャツやストール、座布団などの衣類や雑貨を販売。好きなものを持ち込んで藍染体験2,500円(税別)~(要予約)もできます。
住所 姫路市船丘町296
電話 079-294-5555

景福寺

酒井家の代々の菩提寺であった名刹。忠学(ただのり)の正室・喜代姫のほか、忠宝(ただとみ)、忠績(ただしげ)の正室の墓が残ります。
住所 姫路市景福寺前7-1 電話 079-292-4807

九所御霊天神社

創立年代は不詳。1364年(貞治3年)に赤松貞範が松本天神社と市之郷御霊社を合祀し、「市別府 九所御霊天神社」と称するようになったといわれます。故・桂米朝の実家で、祖父、父が神主を務めていたことでも知られています。
住所 姫路市大善町7 電話 079-284-0858

地酒、鰻の名店にも寸翁の足跡を見る

寸翁は、改革の一環として、船津町の西光寺野の開発を手掛け、1819年(文政2年)には朝鮮人参の栽培を試みました。その後、人参役所が設けられ、藩から薬用人として派遣された岡庭小平太・小兵衛親子などの努力で、人参栽培は明治初年まで続きました。その後、人参役所は姫路県百姓一揆によって焼失。岡庭家は酒造業に転じ、神崎酒造として今もその地で酒造りを続けています。

また、おいしいゆかりの場所もありました。鰻と牡蠣を扱う老舗「森重」です。1848年(嘉永元年)の創業に寸翁の命を受けた姫路藩士武井守正(たけいもりまさ)の援助があったと伝えられています。残念ながら、坂元町に構えていた元の店舗は戦争で焼失してしまいましたが、その後、魚町へ移転し今も営業を続けています。江戸時代に思いをはせつつ、香ばしい鰻を頬張るのもいいですね。

新しい姫路を発見できます!

推進員の
コメント

河合寸翁を追いかけてみると、新たな姫路の魅力に出合えました。森重では、当時から続くという鰻の味を存分に堪能。復活を目指す姫路木綿の優しい肌触りに心もほっこりしました。皆さんも姫路の秋の景色と、今も残る河合寸翁の足跡に触れながら、江戸時代に想いをはせてみてはいかがでしょうか。

広報推進員大山 純奈