写真 幕末の姫路 西郷隆盛や木戸孝允(桂小五郎)が活躍し、薩摩藩や長州藩が政治の表舞台に登場した幕末、姫路ではどのようなドラマが起こっていたのでしょうか。明治改元から150年という節目の年、幕末の姫路を振り返ってみましょう。 景福寺山上、男山山上に備前藩が陣どりました。

姫路城

○開城時間/午前9時〜午後4時(4月27日〜8月31日は午後5時まで)○入城料/大人1,000円、小学〜高校生300円○問い合わせ/姫路城管理事務所 電話 079-285-1146

姫路城の無血開城

不戦の城と呼ばれる姫路城が、唯一攻撃を受けたのは、今から150年前明治改元の年(1868年)のことです。

もともと姫路藩は池田輝政入城以来、西国の要として将軍徳川家と特別な関係にある大名が配置されてきました。幕末においても、姫路藩主・酒井忠績(ただしげ)は、幕府の最高役職である大老を務めるなど幕府の中枢にありました。

1867年(慶応3年)に大政奉還が行われた後、薩摩藩を中心とした雄藩が新体制樹立を宣言(王政復古の大号令)すると、15代将軍・徳川慶喜を中心とした旧幕府軍と新政府軍が鳥羽・伏見で衝突。このとき老中に任じられていた忠績の弟で姫路藩主の酒井忠惇(ただとし)が、敗れた慶喜とともに江戸へ逃走したため、姫路藩は朝敵として追討されることになります。 

城主不在の中、姫路には新政府の意向を受け、備前藩を中心とした部隊が集結します。姫路藩は人質を差し出して降伏する旨を伝えましたが、長州藩が武力開城の必要性を主張したため、備前藩は景福寺山上から砲撃。姫路藩は直ちに降伏の意を表し、姫路城は無血開城されることになりました。

新しい時代を迎えて

代々、譜代大名であった姫路藩は、幕府寄りの立場(佐幕派)でしたが、藩内に尊王攘夷の思想(尊攘派)がなかったわけではありません。勤皇の志士といわれる尊攘派の多くは、江戸時代後期の姫路藩家老・河合寸翁(すんのう)が創立した仁寿山校関係者であったといわれています。

1864年(元治元年)には、尊攘派の動向を警戒した佐幕派の姫路藩主・酒井忠績が尊攘派のリーダーの1人・河合惣兵衛をはじめとする70人以上を処罰した「甲子(かっし)の獄」と呼ばれる弾圧が行われます。現在、勤皇の志士たちが処刑された場所を示す記念碑が大蔵前町の公園に建てられているほか、船場本徳寺には志士たちの墓も残されています。

姫路城開城の後、明治政府による藩政改革が行われると、尊攘派藩士が復権を果たします。その後、藩内の意見を統一するため、「戊辰(ぼしん)の獄」と呼ばれる佐幕派藩士たちへの糾弾と弾圧を行い、姫路藩は他藩に先駆けて版籍奉還を申し出るなど、新しい時代に対応した積極的な政策を進めるようになっていきます。

廃藩置県後は姫路県、飾磨県を経て、兵庫県に編入されました。

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❶大蔵前公園は姫路藩の獄舎があったとされ、勤皇の志士終焉(えん)の地として石碑が建てられています❷船場本徳寺には薬師山から移動された勤皇の志士の墓(❸)や西南の役の招魂碑(❹)をはじめ、明治天皇が宿泊された行在所(❺❻)も

勤皇の志士の墓がひっそりとたたずんでいました
もう1つの城下町 林田藩を巡って

幕末の姫路には姫路藩以外にもいくつかの藩がありました。そのうちの一つが林田藩です。姫路藩の初代藩主である池田家が転封した1617年(元和3年)、初代藩主建部政長(まさなが)により林田藩1万石が成立。明治維新を迎えるまで建部家が10代続いて藩主を務めました。

林田藩で幕末に活躍した人物としては、河野鉄兜(てっとう)(1825–1867)が全国に知られています。鉄兜は網干の垣内で生まれ、儒学、国学、漢詩、和歌に秀でていたといわれる人物。林田藩が誇る藩校「敬業館」で教授を務めました。名だたる酒豪だったといわれ、林田の地で酒造りをしていた長谷川家の酒に「箙(えびら)」と命名したというエピソードも残されています。長谷川家は今もヤヱガキ酒造として林田で酒造りを続けています。

敬業館は学問好きとして知られる7代藩主政賢(まさかた)が設立しました。全国的にも珍しい士庶共学であり、優れた成績を収めた者には藩費での遊学も行い、小藩ながら優秀な人材を育てました。鉄兜も藩費で各地を歴遊し、広く学者や文人と交流を深めたといわれます。自らも攘夷運動に加わるとともに、各地の勤王家の精神的な支柱でもあったそうです。

林田藩が新政府樹立に伴い、早々に上洛したのもこのような機運があったからでしょうか。くしくも姫路藩討伐の命令が備前藩に下されると、林田藩もその指揮下に入ります。姫路城が開城した後も、赤穂・安志・小野等の諸藩とともに姫路城の諸門に兵を配し、警備に当たりました。

その後、林田藩は1871年(明治4年)に林田県、その後、姫路県、飾磨県を経て兵庫県に編入されることになります。しかし、林田藩の名残は今も町のあちこちに息づいています。林田陣屋跡、兵庫県に唯一残る藩校・敬業館。また、鉄兜とゆかりのある長谷川家住宅やヤヱガキ酒造、当時の大庄屋であった林田大庄屋 旧三木家住宅など城下町の面影が残ります。ボランティアガイドさんと一緒に歩けば、興味深い発見がいっぱいです。

また、散策が終われば「姫路市はやしだ交流センター ゆたりん」で一服を。地元の農産物を買ったり、無料の足湯を楽しんだりするのもお薦めです。

敬業館 河野鉄兜の書 松平定信筆の扁(へん)額 長谷川家住宅 ヤエガキ酒造 「純米大吟醸 青乃無」はフルーティな味わいとすっきりとしたキレがあり、食中酒として広く親しまれています。 旧三木家住宅 ゆたりん

林田大庄屋 旧三木家住宅

江戸時代を通じて林田藩の大庄屋を務めた三木家。創建年代を明確に示す資料はないものの民家の遺構としてはかなり古く、兵庫県指定重要有形文化財に指定されています。約4,178㎡(約1,266坪)の敷地に主屋、長屋門、引き続き矩(かね)折れに長屋、土蔵(米蔵・内蔵・新蔵)の6棟の他、藩主を迎え入れるための御成門も。大きな台所や二つの湯殿など見どころがいっぱいです。

敬業館

江戸時代中期の老中・松平定信筆の「敬業館」の扁額や河野鉄兜の直筆の漢詩などが残されています。付近には鉄兜を讃える石碑も。明治以降は敬業小学校、村役場、公民館としても活用されました。

旧三木家・敬業館

○公開/金曜〜月曜日、祝休日の午前10時〜午後4時○観覧料/一般300円、高校・大学生200円、小学・中学生100円(敬業館無料)

○問い合わせ・林田町観光ボランティアガイドの申し込み/林田大庄屋旧三木家住宅管理事務所
所在地 姫路市林田町中構74
電話 079-261-2338(公開日のみ対応)

ヤヱガキ酒造

1666年(寛文6年)から林田の地で酒造りを続ける老舗の酒蔵。2012年に現代の名工に選ばれた杜氏の田中博和さんが昔ながらの寒仕込みで、こだわりの酒を醸す。海外にも進出。

長谷川家住宅(非公開)

1848年(弘化5年)に建築された住宅。因幡街道の宿駅として栄えた街道筋の雰囲気を感じさせます。

○問い合わせ/ヤヱガキ酒造株式会社 所在地 姫路市林田町六九谷681
電話 079-268-8080

姫路市はやしだ交流センターゆたりん

温泉施設、農産物直売所、レストランなどを兼ね備えた交流センター。
○温泉施設の営業/午前10時〜午後9時30分(土曜・日曜日、祝休日は午後10時まで)
○定休日/第2月曜日
○温泉施設の料金/大人600円、小人300円
○問い合わせ/姫路市はやしだ交流センター ゆたりん
所在地 姫路市林田町口佐見386
電話 079-261-3770

私が案内します

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広報推進員大山 純奈

幕末の動乱の世を生き抜いた姫路の人々。林田の町を歩いてみると、その当時の生活をとても身近に感じることができます。敬業館では、河野鉄兜が書いた文字に触れ、旧三木家住宅では、珍しい蒸し風呂を見ることができました。歴史の表舞台だけではなく、こうした人々の日々の営みにも目を向け、散策を楽しんでみてはいかがでしょうか。