雑学・姫路城
姫路城の豆知識をご紹介します。
白鷺城の名前はどこから?
諸説ありますが一つは、黒い板張りの岡山城に対比して白漆喰総塗寵造の姫路城をこう呼んだという説。また、城のある丘が「鷺山」とも呼ばれたところから、という説。また、城が白鷺の飛ぶ姿に見えるためとか、昔からゴイサギが多くすんでいたから、などといわれています。
築城にかかった人手と時間は?
お城が現在の姿に近くなったのは、1601年着工の大改築によります。この工事は1609年に完了していますので、実年数は8年、足掛け9年かかったことに。動員された延べ人数は2,500万人以上と推定されます。
お城にいた侍の数は?
池田氏時代で300石以上の武士が500人余り。次の本多氏のころ、本多忠政の家来が700人以上、忠刻の家来が500人以上、足軽、小者まで加えると父子で約4,000人。榊原氏時代で3,000人。江戸時代末期、酒井氏が最後の城主であったころは2,200人ほどでした。
門の数は?
外曲輪(そとくるわ)まで含めて昔は84の門がありましたが、現在21の門が残っています。


狭間(さま)の数は?
鉄砲狭間、矢狭間の数は、記録では3,125か所といわれています。現在残っているのは内曲輪のものだけですが、その数は997を数えます。
※数字は典拠により若干異なります。
※数字は典拠により若干異なります。
濠(ほり)の幅や深さは?
幅は広い所で34.5mで、平均20m。深さは平均すると2.7m内外です。
腹切丸で本当に切腹があった?
「腹切丸」とは俗称で、正式には「帯郭櫓(たいかくやぐら)」といいます。建物の形が、時代劇に出てくる切腹の場を連想させるので、いつのまにか、このような名が付いたようです。当時、罪人の切腹は屋敷内の庭先などで行われるのが普通でした。ここは神聖な城内で、城主の住居のあった備前丸にも近い場所であり、切腹が行われたとは考えられません。
秘密の抜け穴は?
抜け穴があるとの伝説が昔からありますが、調査の結果、発見されていません。しかし、濠の中に水面下に隠された堤があり、この堤の上をたどれば、歩いて濠を渡ることが可能です。このような非常の場合の間道としての工夫は、随所に見られます。
姫路城が23円50銭で売られた?
廃藩置県により、無用の長物となった各地の城は、保存に巨額の経費がかかるため、次々に廃棄され、売りに出されました。姫路城も例外でなく、競売の結果、市内の神戸清一郎という人がわずか23円50銭で落札。ところが、買い取ったものの取り除きに莫大な費用がかかるため、権利を放棄したとのことです。
4月6日「しろの日」の由来は?
姫路市制100周年を記念した「ふるさと創生事業」を実施するため、市民からアイデアを募集しました。1989年5月11日~6月30日までに、421件の応募があり、同年7月に選考委員会を開催し、入選25件を決定。この中の優秀賞の一つに「しろの日」がありました。
翌1990年4月6日に、この「しろの日」を記念して、姫路城を国内外にアピールするため、イベントを始めました。以来毎年、桜が美しいこの日を中心に、観桜会やお花見太鼓など姫路城を中心としたイベントを行っています。





foreign language 


