モノレールの画像

ABOUT HIMEJI MONORAIL

姫路モノレールとは?

今もなお、色濃く痕跡を
留めている伝説の廃線

姫路市は播磨地域の山陽道と北に向かう播但道の要衝に位置し、南に向いては家島諸島を望み、中世には姫路城の城下町としてまた、戦後は播磨工業地帯の中核を成す都市として栄えてきた。

姫路と言えば「白鷺城」の別名でも有名な「姫路城」があるがそれとほぼJR姫路駅をはさんで反対側(南西側)に手柄山という山がある。この付近一帯は「手柄山中央公園」と称され「太平洋戦全国戦災都市空爆死没者慰霊塔」を中心に文化・体育・娯楽の諸施設が設けられており気軽に楽しめる都市公園となっている。

「姫路モノレール」は石見元秀市長時代にこの手柄山中央公園と現JR姫路駅前1.6キロメートルの間を結ぶ交通機関として計画され、昭和38年1月17日地方鉄道法に則った免許申請ののち、昭和39年11月4日認可。昭和40年9月20日に着工した。

開業当時のモノレールの様子

開業当時のモノレール車内の様子

そもそも手柄山中央公園は昭和41年4月から開催される「姫路大博覧会」の第一会場となる予定であったため、その来場者の足としてまた「モノレール」自体も博覧展示のひとつとしての意味合いもあったようである。

起点となる姫路駅は現在のJR姫路駅と山陽電鉄姫路駅とに挟まれた地点に設けられ、路線はここから西へ向かう。南下してきた山陽電鉄線の上を超え、さらに道路沿いに走ると大将軍駅があった。

しかし同駅は姫路駅から500メートルという距離に設置され、国鉄(現JR)姫路駅に行くなら次の列車を待つよりも歩いた方が早かったため昭和43年2月1日から営業を休止、列車は通過扱いとなった。

路線は南に折れ、船場川沿いを南下、今度はJR山陽本線を超えさらに川沿いを手柄山を目指し、姫路市文化センター、水族館を見やると手柄山駅に吸い込まれ約5分の短い鉄道旅行は終わりを告げる。

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特徴

姫路市が建設したモノレールは、跨座式日本ロッキード型と呼ばれるもので、一本の鋼鉄軌条(当時の東海道新幹線にて採用されていた「50T型レール(重量:53キログラム/メートル)」)のうえをフランヂの無い鉄製弾性車輪を駆動輪として走行する形式のものです。

02
軌道

軌道桁はプレストレストコンクリート製、鉄筋コンクリート製及び鋼製で、長さ15メートルから47メートル、幅900ミリメートル、高さ1,500ミリメートル。また、その軌道桁を支える支柱は鉄筋コンクリート製で構成されております。

03
保安通信設備
(A)
超短波無線電話による「指令室・固定局」「列車運転室・移動局」間の通話を確保。
(B)
自動列車停止装置(ATS)は、運転取扱の補助設備であって、万一運転手が失念錯覚等のため列車が過速した場合でも自動的にブレーキがかかる装置で、軌道に沿って電波が流れ車内では連続的に受信し制限速度以上にはなりません。
04
工事概要
(A)線路
方式 日本ロッキード
区間 国鉄姫路駅から手柄山中央公園まで
線路延長 1,824メートル
営業粁程 1,630メートル
単複線 単線
最小曲線半径 80メートル
最急勾配 60‰
軌道桁
  • プレストレストコンクリート桁
  • 61本
  • 最大スパン 25メートル
  • 鉄筋コンクリート桁
  • 33本
  • 最大スパン 15メートル
  • 鋼桁
  • 4本
  • 最大スパン 47メートル
メインレール 50-T レール
サイドレール 22キログラム/メートル レール
支柱 鉄筋コンクリート製 95本
最大支柱高 20.3メートル(地上16.4メートル)
転轍器 軌道桁可動式 1箇
(B)車両
車種 直角カルダン電動2軸ボギー式
車体 全アルミニューム合金製
型式 両運転台車 2両 片運転台車 2両
自重 18.4トン 18.1トン
車体の長さ 15,000ミリメートル 15,000ミリメートル
車体の高さ 3,285ミリメートル 3,285ミリメートル
車体の幅 2,904ミリメートル 2,904ミリメートル
定員 104人(座席40人) 120人(座席48人)
電気方式 直流600V
速度 営業運転最高速度 時速50キロメートル
姫路駅から手柄山駅間 約5分
電動機 75キロワット✕4/1両
制御器の種類 自動統括制御電動カム軸電空併用ブレーキ式
(C)駅
姫路駅 高架式 (564平方メートル)
大将軍駅 高架式 (1,418平方メートル)
手柄山駅 (検修車庫を含む)地下式(2,267平方メートル)
(D)保安通信設備
運転保安設備 自動列車停止装置(ATS)
通信設備 業務用電話通信方式音声同波方式
運転指令電話通信方式音声同波方式
超短波無線電話通信方式音声同波方式
(E)変電所
箇所 1箇所
出力 電鉄用 750キロワット  附帯用 100キロワット
電圧 600ボルト
整流器 シリコン整流器 D種定格 750キロワット 常用 1台 予備 1台

モノレール模型図

開業当時と現在の大将軍駅の様子

大将軍駅

旧姫路モノレール線起点「姫路駅」より二つ目の駅として昭和41年5月17日開業。
当初、当時の市の目論見では25メートル幅の道路中央に5メートル幅のグリーンベルトを設けそこにモノレールを敷設するという案だったが、当時の建設大臣河野一郎に「道路を他の目的に使うとはケシカラン」と一蹴されこの構想は消えてしまった。これに代わって打ち出されたのが道路中央ではなくその道路に沿わせて土地を確保、そこにビルを建て、3階部分にモノレールを通し、駅を設置、利便性の高い案を考案、実現したのが「大将軍駅」であった。

実際には
1階・2階・・・・商店店舗及びモノレール施設
3階・4階・・・・モノレール路線フロア及び駅施設
5階から10階・・・日本住宅公団(現「都市再生機構」)所有としてアパート構造

起点からの距離が0K499M418(ほぼ500メートル)と短かったため、次の列車を待つよりは歩いた方が早いため、博覧会を終えたあと昭和43年1月31日を以って、駅としての営業を休止し、列車は通過するのみとなった。

以後は日本住宅公団により、5階以上を「高尾アパート」として活用されていたが、老朽化に阪神淡路大震災が追い打ちをかけた形で、現都市再生機構は補修より解体撤去を選択。平成29年に解体を完了した。

大将軍の由来

〈大将軍神社〉十二所神社の社伝によると、一千年余年昔の平安時代。
疫病が流行して里人が苦しんでいたところ、森に一夜のうちに十二本のヨモギが林立し、高さ二丈(約6メートル)余りに伸び、そこに少彦名大神(スクナヒコナノオオカミ)が現れて「病んでいる身体の患部をヨモギ葉で撫でると治癒する」と告げた。
託宣にもとづいて南畝町字大将軍の長畝の森に神社を建て、十二権現として祀ったのが始まりと言い伝える。

その後、平安時代末期に現在の十二所神社の場所に移され、大将軍神社は十二所神社の御旅所(オタビショ)とされた。
また、江戸時代に姫路城の表鬼門(南西方)にあたるとして、その頃の御旅所であった現在の十二所神社の場所に移されたとの説もある。

陰陽道の大将軍陰陽道において、大将軍は方位の吉凶を司る八将軍のひとつである。八将軍随一の力を持ち、最も重要な方位神である。これを由来とされる地名が全国的に存在していることから、大将軍の地名に関係している。 現代の地名明治45年の姫路市との合併により、豊沢村字・高尾、桶の本、大将軍の大部分を一つにして現在の「高尾町」と称した。(出典:姫路の町名 播磨地名研究会著・偏) 南畝町の大字として「大将軍」がある。「大将軍」は、延暦(えんりゃく)のころ総社に祈願した征夷大将軍坂上田村麿が十二所神社にも祈願し、寄進した田が字となった。(出典:姫路市町名字考 橋本政次著 姫路市発行)