第3章  縄張り(なわばり)・普請(ふしん)

◆橋本政次『姫路城の話』から

「どんな方法で築いたか」(15頁)を読んだあと、縄張りについては「どんな地形地質を利用しているか」(19頁)や「どんな縄張りになっているか」(20頁)・「どんな防禦設備を施しているか」(48頁)・「城地の広さはどれほどあるか」(23頁)を見て下さい。

普請については、「材料はどうしてどこから集めたか」(11頁)・「濠の幅や深さはどれほどあるか」(23頁)・「土塁の高さや長さはどれほどあるか」(25頁)・「石垣はどんな積方になっているか」(25頁)・「石と瓦はどれほど使っているか」(37頁)の石に関する部分を参考にしてください。

●縄張りについて…

姫路城城門絵図縄張りというのは、曲輪(くるわ)を中心に堀や石垣などの平面配置の仕方をいいます。三浦正幸『城のつくり方図典』(小学館)21頁の「曲輪の並べ方」や25頁「大手と搦手について」に姫路城の縄張りの説明があります。

また、出入り口〔虎口・小口(こぐち)〕の工夫など、敵の侵入を防ぐための技術も縄張りと呼ばれます。姫路城の中堀と外堀の虎口は、枡形と呼ばれる形式ですが、多田初治『姫路城城門絵図』(私家版、1978)に復元図があり、枡形にも色々な形態があることがわかります。ながめるだけでも楽しいものです。

●普請について…

姫路城の魅力堀・土塁・石垣など土木工事関係を普請といいます。

それぞれの形式については、『城のつくり方図典』の堀は32〜39頁、土塁は40〜43頁、石垣は44〜71頁を参照して下さい。

堀について、姫路城における研究は少ないですが、北垣聰一郎「姫路城中濠に関する一考察」(『城郭研究室年報』1号)において東部中堀を中心に堀の水の流れと、石垣について考察がされています。

姫路城では土塁の発掘事例はほとんどなく、全国的にも研究は進んでいません。江戸時代以前の土塁については、西ケ谷恭弘氏の「土塁構築法の編年化試論」(『城郭史研究』14号、日本城郭史学会)を参照してみて下さい。

姫路城の石垣は、時代ごとに積み方が変化しています。場所と時期ごとの特徴については、『姫路城石垣の魅力』(城郭研究室、2009)が参考になります。この中で城内の石垣は、羽柴・木下時代、池田時代、第1次本多時代、それ以降の江戸時代の4時期に分類されています。みなさん見分けがつきますか?

さらに、石垣の全国的な時期ごとの変化については、北垣聰一郎『石垣普請』(法政大学出版局、1987)が算木積み(さんぎづみ)の様子と石垣の反り(そり・石垣のカーブの程度)から、堀口健弐「城郭石垣の様式と編年」(『新視点中世城郭研究論集』新人物往来社、2002)では石垣の加工度から特徴を分析しています。

また、石材をどこから、どのようにして持ってきたのかについては、工藤茂博「野里町と石持道」(『城郭研究室年報』Vol.6)で城下町との関係で考察されており参考になります。 石垣の石材には、墓石や古墳の石棺を利用したものがあり、転用材(てんようざい)と呼ばれています。

また、石材にさまざまな記号を刻んだ刻印も数多く見られます。転用材と刻印については、『姫路市史』第14巻別編姫路城617〜639頁に種類と位置が集成されています。

●さらに、詳しく調べる人には…

『姫路市史』第14巻別編姫路城(姫路市、1988)を見てください。城の歴史・縄張・建築・城下町・昭和の大修理・文学・瓦・石垣・植物の各分野について詳しい説明があります。特に歴史では、それまで通説であった南北朝時代の赤松氏築城説を否定して戦国時代の黒田氏築城説などの新説を打ち出したり、明治時代に姫路城が23円50銭で売りに出された話の真相を追求したりと、発行当時には新聞などでも話題となりました。 また、橋本政次著『姫路城史』上・中・下巻(名著出版復刻、1973)では、歴代城主ごとの詳しい歴史が描かれています。昭和27年初版ですので現在の研究成果からみて古くなった部分もありますが、史料を網羅しており姫路城研究の最高水準の成果といえるでしょう。

建造物については、加藤得二『日本城郭史研究叢書9姫路城の建築と構造』(名著出版、1981)が詳しい。加藤氏は昭和の大修理の工事主任だけに、その成果をふまえた新知見も盛り込まれて注目されます。

姫路城の絵図については、姫路市史の付録のほか『姫路城絵図展−雄藩姫路の城下と城郭』(城郭研究室、1998)が注目です。ここには、姫路城の絵図がほぼ網羅されており、図面ごとの解説も充実しています。御殿の部屋割りまで描かれた中根家の「播州姫路城図」は、拡大写真もあり、御殿についての報告では参考になるでしょう。

●ここに注目…

ひょうごの城曲輪の配置について『姫路城の話』では、城下町全体を螺旋式(渦郭式・かかくしき)、城内を連郭式(れんかくしき)としていますが、『城のつくり方図典』『週刊朝日百科 日本の歴史21 城』(朝日新聞社)では城内を梯郭式(ていかくしき)としています。また内藤昌氏は『姫路市史』第14巻別編姫路城で姫路城を左巻き、江戸城を右巻きの渦郭式とし、ともに豊臣家の大坂城を挟んで江戸幕府の支配を天下に示すものと評価しています。ただ、姫路城と江戸城の縄張りを渦郭(螺旋)式とする考えには小松和博『江戸城−その歴史と構造』(名著出版、1985)88〜93頁のように批判する意見もあります。同じ城の縄張りでも研究者により分類法〔呼び方も違う事があります〕が異なります。注意してみてみましょう。

石垣刻印の使用は、姫路城以外には、大坂城や名古屋城など天下普請(てんかぶしん)の城に多いようです。県内では篠山城や明石城などに数多く残っています。特に篠山城石垣には池田輝政が築造にかかわったことを示す「三左之内」の刻印があります。その他の刻印にも姫路城と共通するものがあるかもしれません。刻印の研究については、朽木史郎『ひょうごの城』(神戸新聞出版センター、1977)26頁で兵庫県内の城郭刻印の代表的なものを収集されていますし、「城石垣の符号」(『探訪日本の城 別巻』小学館、1978)において全国的な分析をしているのが参考になります。

刻んだ理由については、石を盗まれないためや石集めの分担を示すもの、工事担当者の印、石取り場をあらわすなど様々な説があります。また、いくつかの記号に対しては魔除け(鬼門対策)など呪術的な解釈もあります(「美の城 第3部石垣浪漫」7、神戸新聞2007.6.9付)。姫路城石垣の刻印はどうでしょうか、みんなで考えてみましょう。

転用材は関ヶ原合戦以前の古い石垣で使われます。一般に石材不足のためとされますが、小和田哲男氏は「石塔類の石垣転用に関する一考察」(『城郭史研究』14)でまじないの可能性を主張されています。なかなか油断できないですね。

●キーワード
  1. 曲輪(くるわ)
  2. 連郭式(れんかくしき)
  3. 梯郭式(ていかくしき)
  4. 小口・虎口(こぐち)
  5. 枡形(ますがた)
  6. 野面積(のづらづみ)
  7. 打込接(うちこみはぎ)
  8. 算木積み(さんきづみ)
  9. 五輪塔(ごりんとう)