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ひめじ官兵衛プロジェクト

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ひめじ官兵衛プロジェクト推進協議会リンクバナー

「その男、天下に秘する野望あり」

※県・市・商工会議所、観光関係者などが協力して「ひめじ官兵衛プロジェクト推進協議会」を設立。大河ドラマ館事業などをはじめ、広報・誘客宣伝事業、受入体制整備事業など、本市のイメージアップと観光客の誘致促進並びに経済の活性化を目的として展開します。

 

トピックス

パンフレット「ひめじの官兵衛見参!」を作成しました 

パンフレット表紙

2014年大河ドラマの主人公である姫路ゆかりの「黒田官兵衛」の魅力をPRするため、稀代の軍師として活躍した官兵衛の生涯やゆかりの地を紹介するパンフレット「ひめじの官兵衛見参!」を作成しました。

パンフレットを見る(PDF形式:5.2MB)

観光情報

姫路生まれの「黒田官兵衛」を応援しよう!

官兵衛イメージキャラクター「かんべえくん」

官兵衛イメージキャラクター「かんべえくん」

平成26年NHK大河ドラマに姫路生まれの稀代の軍師・黒田官兵衛を主人公とした「軍師官兵衛」が決定しました!主演は、人気グループV6の岡田准一さんです。戦国屈指の軍師としてまた、多面的な魅力をもつ官兵衛がどのように描かれるのか、とても楽しみです。
このページでは、黒田官兵衛の生い立ちやその魅力、また、市内の官兵衛ゆかりの地をご紹介するとともに、官兵衛に関連する市の取り組みやイベントなどをご紹介します。

市の取り組み・イベント新着情報

官兵衛の生涯

官兵衛の生涯をご紹介!

姫路のひろば「姫路から天下に翔けた男、稀代の軍師 黒田 官兵衛(前編)」

 

天文15年(1546)に姫路城で生まれた黒田官兵衛孝高は、戦国最強の軍師として羽柴秀吉の播磨制定や中国攻め、四国・九州征伐などを補佐し、その天下統一事業を支えました。姫路・播磨から天下に翔けた黒田官兵衛の生涯をたどります。(平成25年2月放送)

 

 


姫路のひろば「姫路から天下に翔けた男、稀代の軍師 黒田 官兵衛(後編)」

 

前編に引き続き、黒田官兵衛の生涯を追います。有岡城に幽閉され、跡取りの長男も殺されそうになっている官兵衛。これから彼の運命は、そして戦国の世はどのようになっていくのでしょうか。(平成25年3月放送)

 

 


姫路のひろば「黒田官兵衛ゆかりの地を歩く」

 

天文15年(1546)に姫路城で生まれた黒田官兵衛孝高は、戦国最強の軍師として羽柴秀吉の播磨制定や中国攻め、四国・九州征伐などを補佐し、その天下統一事業を支えました。姫路・播磨から天下に翔けた黒田官兵衛の生涯をたどります。(平成25年2月放送)

 

 


黒田官兵衛 紙芝居

 

 

 

 

 

 


黒田官兵衛略歴

 西暦(数え年)   出来事
 1546(1歳)  官兵衛誕生(幼名・萬吉)。
 1561(16歳)  主君・小寺政職(こでらまさもと)の側近となる
 1562(17歳)  初陣。元服し、官兵衛孝高(よしたか)となる
 1567(22歳)  志方城主・櫛橋氏の娘(光姫・てるひめ)を娶(めと)る。家督を継ぎ、姫路城主となる
 1568(23歳)  嫡子・長政(幼名・松寿丸)誕生
 1575(30歳)  小寺政職を説得し、織田信長に帰属することを決める。信長より名刀「圧切長谷部(へしきりはせべ)」を賜る
 1576(31歳)  英賀で毛利軍5千の兵を5百の兵で退ける
 1578(33歳)  摂津国有岡城主・荒木村重が信長に謀反。単身説得にあたるも幽閉される
 1579(34歳)  有岡城が落城し、救出される
 1580(35歳)  秀吉に姫路城を譲り、国府山城(こうやまじょう)に移る。揖東郡などで1万石を与えられる
 1582(37歳)  秀吉に従い、備中平定に出陣。中国大返しを進言
 1583(38歳)  大坂城築城の縄張りをする。キリスト教に入信(洗礼名・シメオン)
 1587(42歳)  豊前国6郡12万石を拝領。中津城主となる
 1589(44歳)  家督を長政に譲り、隠居。如水と名乗る
 1590(45歳)  小田原討伐にて北条氏との講和をまとめる。北条氏直から名刀「日光一文字」を贈られる
 1600(55歳)  関ヶ原の合戦で東軍に属し、九州にある西軍の城を次々と攻め落とす
 1604(59歳)  死去

 

官兵衛生まれる

黒田家は官兵衛の祖父・重隆の代に姫路に移り住み、秘伝の目薬に広峯神社のお札を付けて売り、大きな財を蓄えました。その後、播磨の有力豪族であった御着城の小寺氏の家臣となり、姫路城代を任されます。「黒田家譜」によると官兵衛は、1546年(天文15年)11月29日に父・職隆(もとたか)、母・明石氏の子として姫路に生まれたとされています。その聡明さが早くから主君に認められ、弱冠16歳で禄高80石と破格の待遇で側近に、22歳で家老となりました。

秀吉を天下人へ導く

大きな転機となるのが秀吉との出会いです。播磨の豪族が、毛利方に付くか織田方かで揺れ動く中、織田方に付くよう主君を説得。信長の命で秀吉に従うことなった官兵衛は、毛利攻めに向かう秀吉に姫路城を献上しました。それ以降、秀吉の懐刀として、播磨制定、中国攻め、四国・九州征伐などで数々の合戦で名をはせていきます。中でも、備中高松城で水攻めを敢行している折、本能寺の変により信長の死去が知らされ肩を落とす秀吉に、今が天下取りのチャンスであると進言し、「中国大返し」を実行させました。これらのエピソードからも、時代を見通す慧眼の持ち主であったことが伺えます。
また、戦国時代にあって、人の命をむやみに奪うことを嫌った官兵衛は、実戦だけでなく数々の戦で折衝にあたります。その中で、説得に赴いた有岡城で1年以上の間土牢で幽閉されたことも。それでも秀吉を裏切らず忠節を貫いた、信念の人でした。
各地の戦陣で活躍した官兵衛は、1587年(天正15年)に九州征伐の論功行賞で豊前国の6郡を与えられ、豊前・中津へ移ります。黒田家筑前52万3千石の礎を築き、59歳でこの世を去りました。

官兵衛の魅力

戦国屈指の軍師、参謀として知られている官兵衛。混乱期に、時代の先を読む優れた知略の持ち主でした。これまで、官兵衛は、歴史の“裏方”として評価されてきました。しかし、官兵衛は、秀吉、徳川家康から強い信頼を得ると同時に、「天下を取れる男」として、警戒されています。関が原の戦いの際、東、西軍とは違う「第三極」を結集して天下を取るという大構想を描いていたとも言われており、その状況が最近、次第に解き明かされようとしています。
また、官兵衛を語る上で忘れてはならないのが、妻・光姫(てるひめ)の存在です。才徳兼備といわれる光姫を、官兵衛は、戦国期には珍しく、ただ一人の女性として愛し続けたといいます。

 

官兵衛は、

  • 天下人に仕えた「No.2」の一方で、自らも「No.1」を狙った男
  • 歴代姫路城主48 人の中でただ一人、姫路城で生まれた姫路城主
  • 妻一人を愛し続けた理想の家庭人
  • 部下の統率力に優れた理想の上司
  • 鋭い洞察、知略で混乱期を切り開く男

 

など、歴史性、現代性、ドラマ性なども十分持ち合わせています。大河ドラマの主役としてふさわしい人物です。

官兵衛をめぐる人々

黒田二十四騎

黒田家草創期の家臣のうち精鋭24人を官兵衛が選んだと伝えられており、この精鋭は「黒田二十四騎」と呼ばれています。黒田二十四騎のほとんどは官兵衛が姫路や播磨地方の出身であり、黒田家と姫路・播磨のゆかりの深さを感じさせます。

 

妻 光姫(てるひめ)

官兵衛は、22歳のときに志方城主櫛橋伊定の娘であった光姫を妻に迎えました。

官兵衛は、戦国期には珍しく、ただ一人の女性として愛し続けました。官兵衛の誠実な人柄とともに、光姫の魅力の大きさも推察されます。

関ヶ原の合戦前夜には、石田三成の見張りをかいくぐり、大坂天満屋敷から官兵衛のいる中津へ着くことができました。

1627年(寛永4年)、官兵衛の死から23年、子・長政よりも4年長く生きて、75歳の生涯を閉じました。

市内の官兵衛ゆかりの地

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ひめじ官兵衛プロジェクト推進協議会
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