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《 姫路発 》お城からの手紙

2022 Winter vol.90

知っているようで知らない 中堀の門を訪ねて

姫路城というと内堀の中、内曲輪をイメージしますが、世界遺産に指定されている範囲はもっと広く、国道2号の北側、中堀に囲まれた中曲輪も含まれています。
中曲輪に残された史跡として顕著なのは城門跡。
姫路市城郭研究室の工藤茂博さんにお話を伺いました。
姫路城1

車門跡と埋門跡

大工幾蔵姫路城図では同じページに描かれている、共に船場川沿いに設けられた城門跡。
車(くるま)門は西国街道に直結する主要な出入り口で、内門、中門、外門に加え、船場川に降りる水門の四つの門があり、厳重な二重枡形構造をしていました。
埋(うずみ)門は中曲輪の南西端にあった城門。
車門から先の中堀は埋め立てられ、国道2号となっています。
広報推進員
姫路城2 姫路城3
「大工幾蔵姫路城図」姫路市立図書館蔵1
「大工幾蔵姫路城図」姫路市立図書館蔵

鵰(くまたか)門跡

姫路城の南側を走る国道2号沿い、埋門跡と中ノ門跡の間にあります。
外門と内門の石垣がはっきりと残り、その間を車で通行できるのが特長。
広報推進員
鵰門跡

内京口門跡

賢明女子学院の裏手にあります。この門は西国街道に通じる重要な門で、外門の内側には番所が設けられていました。
現在、中堀に架けられた橋は駐車場になっていて、石垣のみが当時の様子を伝えていますが、北側に延びる堀は幅広く、対岸には木々が生い茂り、かつての城下町をほうふつとさせます。
内京口門跡1 内京口門跡2
「大工幾蔵姫路城図」姫路市立図書館蔵2
「大工幾蔵姫路城図」姫路市立図書館蔵
広報推進員
大山純奈 姫路市城郭研究室
工藤茂博さん
大山
姫路市内では、お城から離れた場所で石垣を見掛けることがありますね。
工藤
城門跡ですね。外曲輪にあった五つの門はすべて失われていますが、中曲輪の門跡は、一部を除いて石垣が残っています。実は、本多忠政が姫路に入ったとき、西の守りと同時に強化したのが中曲輪の城門でした。
大山
どうやって城門を強化したんですか?
工藤
曲輪の入り口は虎口といい、防御の要で、通常は城門が建てられています。忠政は、池田時代は土塁づくりだった虎口に、それぞれ総石垣で枡形(ますがた)を作りました。枡形は虎口に設けられた四角形の区画のことをいい、外門には高麗門、内門には櫓(やぐら)門を建て、内側で進路を屈曲させて防御を固めました。
大山
敵を誘い込んで四方から攻撃できるようにしたんですね。
工藤
そうです。城門は防御の他に、人と物の流通を管理したり、櫓の中に武器を収納したりする役割もありました。
大山
櫓門ですね。
工藤
櫓門には通常一層ないし二層の櫓が渡されていました。ただ、外曲輪の城門で、東の玄関口である外京口門、西の玄関口である備前門には三重の櫓が建てられていたんですよ。
大山
守りを固めたのでしょうか。
工藤
もちろんそれもありますが、東西に威容を示すためでもあったでしょうね。
大山
たくさんの城門があったのに、今では石垣しか見ることができないのは、少し残念です。
工藤
文政6(1823)年に描かれたといわれる「大工幾蔵姫路城図」という資料には、城門の様子が描かれていますよ。
大山
面白いですね! 絵を見て、石垣の門を見るとまた想像が膨らみます。
工藤
絵にも描かれていますが、車門には川に降りられる水門がありました。ここからお殿様は船場川へ出て、遊興したり、飾磨港まで視察に出たりしていたそうです。
大山
神戸にある相楽園で姫路藩の川御座船を移築した船屋形を見たことがあります。
工藤
藩主が河川での遊覧に使ったものでしょうね。姫路藩には「御船手組」という水軍があって、守りを固めるのはもちろん、物資や役人の輸送なども担っていました。18世紀中ごろには海船53隻、川船23隻を擁し、うち8隻が川御座船であったとの記録が残っています。