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    和久遺跡第12次調査の調査成果について(令和2年7月分)

    • 公開日:2020年7月10日
    • 更新日:2020年7月12日
    • ID:13223

    資料提供日

    令和2年7月10日(金曜日)

    問い合わせ先

    担当課 姫路市生涯学習部埋蔵文化財センター
    担当者 福井 優
    電話番号 079-252-3950

    *** 和久遺跡第12次調査の調査成果について ***
     
    姫路市網干区和久に所在する和久遺跡では、現在、埋蔵文化財センターが発掘調査を実施しています。 

     【調査面積:4104平方メートル、調査期間:平成31年(2019年)3月1日~令和2年(2020年)8月31日(予定)】

     今回の調査の主な成果としては、古墳時代初頭(3世紀後半)の水田と、この水田のすぐ東側に広がる集落を区画するように掘られた溝状の遺構を確認できたことが挙げられます。このうち、水田の耕土の範囲は930平方メートルに及び、市内ではこれほどの規模で確認したのは初めての調査事例といえます。また、区画溝からは完全な形に復元できる壺や甕などの土器が多く出土しました。これまでの調査で、今回の調査区のすぐ東隣には同時期の集落跡が広がっていることがわかっており、居住域と生産域がセットで把握できる兵庫県内でも有数の好例であるといえます。

    水田跡の調査

     今回確認した水田跡は930平方メートルあり、そのうちの520平方メートルの範囲では小畦畔(あぜ)(写真1)によって、区画されていました(図1、写真2~6)。一方、残りの410平方メートルの範囲については畦畔はみられませんでしたが、土壌が人為的に攪拌された痕跡がみられることから耕作土ではあると可能性は高いと考えています。畦畔が確認できなかったのは、先の範囲に比べてやや標高が高いために後世の耕作により畦畔が削平を受けたためと思われます。

     このように畦畔によって小規模に区画される水田を、考古学では小区画水田と呼んでいます。それぞれの区画の大きさは、最大で約27平方メートル、最小で約0.7平方メートルとばらつきがあります。また、畦畔の中には重複したり近接するものがあることなどから、複数年にわたり水田が営まれていたと推定されます。また、今回の調査では、灌漑用水は確認できませんでしたので、本来は調査区の北側に位置にあると思われる水路から、田越(たごし)や懸流し(かけながし)によって水を供給していたと考えています。なお、この耕作土の下には、弥生時代中期前葉(紀元前2世紀)以降に埋没した古い川跡があり、現在でも湧水がみられることから、そのような水源を利用していた可能性もあります。今後、土壌を科学的に分析することにより植生等を復元することで、当時の景観により具体的に近づくことができるでしょう。

    調査区の合成図

    図1 今回の調査区(12次調査)と既往の調査区(1・9・10次調査)合成図

    写真1 畦畔土層断面

    写真1 畦畔土層断面
    【幅約20センチメートル、高さ約5センチメートルと
    小規模な畦畔であることがわかります。】

    写真2 調査区全景(北から)

    写真2 調査区全景(北から)
    【手前の黒い部分が水田跡で、縦横方向に
    畦畔により区画されている様子がわかります。】

    写真3 調査区全景(北西から)

    写真3 調査区全景(北西から)
    【手前の黒い部分が水田跡、奥の病棟下では
    過去に集落跡を調査しました。】

    写真4 水田跡の小畦畔(北から)

    写真4 水田跡の小畦畔(1)(北から)
    【畔の間隔が狭いところがあるのは複数時期に
    耕作されていた痕跡である可能性があります。】

    写真5 水田を区画する小畦畔(2)(北から)

    写真5 水田を区画する小畦畔(2)(北から)
    【手前の畦畔が途切れている部分は
              水口と思われます。】

    写真6 水田跡の区画と作業風景(北から)

    写真6 水田跡の区画と作業風景(北から)
    【一つずつの区画が小さいことがわかります。】

    溝状遺構の調査

     溝状遺構は、今回の調査区の中央付近東端で歪な弧状に巡っています(図1、写真7)。この溝は現況では幅約1.3メートル、深さ約20センチメートルと非常に浅いものですが、これは横転した土器のうち上半が後世の削平を受けているものがあることから、本来は倍以上の深さであったものが後世の耕作等で削平されたためであると考えています。ここで注目されるのは、出土した土器のうちの多くが、本来は完全な形の状態で、溝に投棄されていたということです(写真8~10)。いずれの土器もほぼ同時期に入れられたことがわかっており、なにか「まつり」のような行為の跡片付けではないかと考えています。さらに、図1にあるようにこの溝状遺構は、調査区の東側にある集落(1・9・10次調査)の外側を巡っていて、その西側では遺構がほとんどみられないことから、本来の機能である用水路とは別に居住域と生産域を区画するという別の意味も兼ねていると考えてよいでしょう。

    写真7 溝状遺構全景(南西から)

    写真7 溝状遺構全景(南西から)
    【手前の黒い水田と病棟下の集落を区画するように巡っています。】

    写真8 溝状遺構内の土器の出土状況(南東から)

    写真8 溝状遺構内の土器の出土状況
               (南東から)
    【形をある程度保った状態で
             出土している。】

    写真9 溝状遺構内の土器の出土状況(西から)

    写真9 溝状遺構内の土器の出土状況(西から)
    【左の土器は入れ子になっている可能性があります。】

    まとめ

     今回の調査では、姫路市域で初めてとなる広い範囲で水田を確認することができました。この水田は畦畔により区画する小区画水田といわれるタイプで、弥生時代から古墳時代にかけて一般的にみられます。今回の調査区内では灌漑用水は確認できませんでしたので、そのような水路はもう少し北側に位置しており、田越や懸流しにより、水を取り込んでいたと考えています。また、この水田は、弥生時代中期前葉以降に埋没した古い川跡の上に広がっており、もともと湿地状を呈していたところを利用したと考えられます。

     もう一つの成果として、調査区の東側で確認した浅い溝状の遺構が挙げられます。今回の調査区の東隣で過去に実施した1・9・10次調査により、古墳時代初頭を中心とする集落が存在していたことを確認しており、溝状遺構はその外側を地形に沿うように巡っていることがわかりました。また、この遺構からは、完形に復元できる壺や甕などの多くの土器が炭や灰など被熱痕跡とともに出土していることから、単なる水路というだけではなく、居住域と生産域を区画するためのものである可能性も出てきました。

     これまでは、多くの竪穴建物が密集することで注目を集めていた和久遺跡ですが、今回の調査成果を合わせることで、より具体的に当時の農村の姿を復元できる兵庫県下でも重要な遺跡として、再評価することができました。


    しろまるひめ

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