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姫路城の風景

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シラサギが羽を広げたような優美な姿から「白鷺城」の愛称で親しまれる姫路城。白漆喰総塗籠造りの鮮やかな白の城壁や5重6階地下1階の大天守と東、西、乾の小天守が渡櫓で連結された連立式天守が特徴です。 今、私たちが目にしている姫路城の大天守は、慶長14年(1609年)に建築されたもの。400年以上が経過した現在でも、その美しい姿を残しています。

姫路城年表

1333年(元弘3年) 赤松則村(円心)、護良親王の命により挙兵。京に兵をすすめる途中、姫山に砦を築く。
1346年(正平元年) 赤松貞範、姫山に本格的な城を築く。
1441年(嘉吉元年) 嘉吉の乱。赤松満祐父子、六代将軍足利義教を謀殺し、自害。山名持豊、姫路城を治める。
1467年(応仁元年) 応仁の乱。赤松政則、姫路城を陥落し、領国を回復。本丸、鶴見丸を築く。後に一族の小寺氏、その重臣の黒田氏が城をあずかる。
1580年(天正8年) 羽柴秀吉の中国攻略のため、黒田孝高、城を秀吉に献上。秀吉、3層の天守閣を築く。翌年完成。
1585年(天正13年) 木下家定、姫路城主となり16年間治める。
1600年(慶長5年) 関が原の戦の後、池田輝政が姫路城主に。
1601年(慶長6年) 池田輝政、城の大改築を始める。9年後完成。
1617年(元和3年) 池田光政、鳥取城へ移る。本多忠政、姫路城主に。三の丸、西の丸、そのほかを増築。
1639年(寛永16年) 松平忠明、姫路城主となる。
1649年(慶安2年) 榊原忠次、姫路城主に。その後、松平、本多、榊原各氏が城主に。
1749年(寛延2年) 酒井忠恭、前橋から姫路へ。明治維新まで酒井氏が城を治める。
1869年(明治2年) 酒井忠邦、版籍を奉還し、姫路城は国有に。
1931年(昭和6年) 姫路城天守閣、国宝に指定される。
1951年(昭和26年) 新国宝に指定される。
1956年(昭和31年) 天守閣、国費により8か年計画で解体修理着工(昭和の大修理)。
1964年(昭和39年) 天守閣群の全工事完了。
1993年(平成5年) ユネスコの世界文化遺産に登録される。
2009年(平成21年) 大天守保存修理工事着工(平成の修理)。
2015年(平成27年) 姫路城グランドオープン。

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