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姫路市立豊富小中学校

TOYOTOMI ELEMENTARY AND JUNIOR HIGH SCHOOL

〒679-2122 姫路市豊富町御蔭925番地 地図

電話番号:(前期課程)079-264-0021 (後期課程)079-264-0039

学校だより『蔭山の里(かげやまのさと)』令和6年(2024年)1月9日 No.12

  • 公開日:2024年1月24日
  • 更新日:2024年1月24日
  • ID:20824

志を立つ

あけましておめでとうございます

2024年は元旦の石川県能登半島地震、2日の航空機衝突事故と、大きな災害と事故が立て続けに発生する中で波乱の幕開けとなりました。犠牲となった方々のご冥福をお祈りするとともに、被災地の一刻も早い復興を願うばかりです。

さて、「1年の計は元旦にあり」と言われます。年頭にあたり、児童生徒の皆さんにも今年の目標をしっかりと考えてもらうために、幕末に活躍した福井藩士橋本左内が、これから立派な大人になるための心得(心構え)として15歳の時に書き上げた「啓発録」の5つの教訓について紹介します。

橋本左内

福井市立郷土歴史博物館蔵(島田墨仙作)

橋本左内は福井藩(現在の福井県)の医者の長男として生まれ、小さい頃から、「自分に足りないものは何か、弱点は何か、そのためにはどう改善したら良いか。」と常に考え、15歳の時に自分自身の人生の教訓として「啓発録」を書き上げます。そして16歳で大阪の緒方洪庵(おがたこうあん)が開いた適塾(てきじゅく)で西洋医学と蘭学を学ぶと、江戸へ出て蘭学や漢学をさらに学ぶ一方で西欧の本を次々と読破して世界へと視野を広げていきました。その後、福井藩主松平春嶽(まつだいらしゅんがく)に側近として登用され藩校明道館の改革を行うなど活躍しますが、将軍の後継問題で対立した大老井伊直弼が行った「安政の大獄」によって捕らえられ、26歳の若さで処刑されてしまいます。短い人生ではありましたが、橋本左内の考え方や生き方は激動の幕末から明治期にかけて大きな影響を与えました。

啓発録 五訓

  1. 稚心を去る(ちしんをさる)
    「稚心」とは子どもっぽい心のことです。橋本左内が「自分とその運命を変えようと思うなら、結局、自分の手で何とかする以外に方法はない。」と語っているように、「稚心」を捨て、親への依存心と決別し、他人に甘えることなく自己を研鑽することです。
  2. 気を振う(きをふるう)
    とにかく他人に負けるなということです。他の人にできるなら、自分にもできるはずだということです。苦難に勝ち、自分自身に打ち勝ち、どんな困難にも真摯に立ち向かうことです。
  3. 志を立つ(こころざしをたつ)
    自分の人生の目標を決めるということです。自分を育てるのは自分です。先人、偉人の生き方、言葉から学び、自分に足りないものを埋めていくことです。
  4. 学を勉む(がくをつとむ)
    人間として成長するために立派な人物の行いを学び、親孝行するとともに、人生の目標を達成するまで常に学び続けること、そしてそれを世の中のために正しく生かすことです。
  5. 交友を択ぶ(こうゆうをえらぶ)
    互いに切磋琢磨できる良き友を選ぶことが必要です。自分を高めて、心から尊敬でき、何かあった時に、真剣に心配してくれる友達こそ、何よりも大切なのです。また、その友人が間違った道に行ってしまったら、それを正しい道に引き戻すのも使命です。

橋本左内がこの「啓発録」を書いたのは、9年生の皆さんと同じ15歳の時です。左内は人生の節目に立てたこの誓いを守り、短い人生ながらも素晴らしい人材として、教育や政治に大きな成果を残しました。2024年の年頭にあたり、まずは自分自身の目標をしっかりと考える「志を立つ」ことから始めましょう!