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姫路城
姫路城
非公開部分をのぞき見! 姫路城のヒミツを探ろう
通常、姫路城を見学すると広い城内をぐるぐると歩き回るため、なんとなく全部見たような気になってしまいますが、実はそれは姫路城の一部でしかありません。
そんな姫路城の非公開部分はどうなっているの?
姫路市城郭研究室の工藤茂博さんに紹介してもらいました。
そんな姫路城の非公開部分はどうなっているの?
姫路市城郭研究室の工藤茂博さんに紹介してもらいました。
中庭
姫路城の天守群はロの字型につながっているため中庭があります。
台所櫓から見ると正面はイの渡櫓。右が大天守になります。
台所櫓から見ると正面はイの渡櫓。右が大天守になります。
はの門
櫓部分は基本的に物見として使われたようです。
背面には窓がなく戦国時代の終わり頃の形式を踏襲したものだと考えられます。
背面には窓がなく戦国時代の終わり頃の形式を踏襲したものだと考えられます。
との一門、トの櫓
との一門の櫓部分とトの櫓は連なっています。
搦手(からめて)防御の中心的な役割を果たしていました。
搦手(からめて)防御の中心的な役割を果たしていました。
帯の櫓
城内で最も高い石垣に建つコの字型の櫓です。
南側部分は増築されたもので床の間、茶室などから構成されています。
南側部分は増築されたもので床の間、茶室などから構成されています。
ロの櫓
倉庫の役割を果たしたと考えられるロの櫓。
このような平櫓は塩などの重い物を入れたと考えられています。
このような平櫓は塩などの重い物を入れたと考えられています。
(イの櫓跡)
一井▶
姫路城には、普段見ることのできない場所がいくつかありますね。
工藤▶
菱の門をくぐって、いの門、ろの門、はの門……と水の四門、大天守へ向かう見学ルートは、お殿様が天守に向かうためのルート。今、このルートを歩いていますが、櫓門の櫓部分や隅櫓などの中には入っていないですよね。他にも、小天守や大天守横の台所櫓などいくつか公開していない場所があるんですよ。今日は特別にご案内しましょう。
一井▶
楽しみです。台所櫓は台所だったんですか?
工藤▶
その名残はほとんどないのですが、資料で台所だったと分かっています。実際に煮炊きしたかどうかは不明ですが、藩主が天守に上がるとき、ここで簡易な食事を用意したのではないかと考えられています。
一井▶
お殿様は天守に住んでいたのですか。
工藤▶
天守に住んでいた大名は織田信長くらいです。姫路城主は御殿と呼ばれる居館に住んでいました。天守に上がるのは参勤交代から戻ってきたときくらいだったんですよ。
一井▶
櫓の中をご紹介ください。
工藤▶
例えば、はの門ですが、中の格子窓からのぞくと、いの門、ろの門が見渡せます。おそらく物見に使われていたんでしょう。この窓から真下にいる敵を鉄砲で撃つことも想定されていたと思います。
一井▶
との一門や帯の櫓は特別公開されることもあります。どんな特徴があるのですか。
工藤▶
との一門とトの櫓は連なっていて、搦手の防御に重要な役割を果たしました。
一井▶
との一門は白漆喰が塗られていない、姫路城では珍しい門だと聞いています。
工藤▶
夢前町にある中世の山城、置塩(おじお)城から持ってきたともいわれていますが、正確には分かっていません。建物内の窓も突き上げ板戸という古風な造りです。
一井▶
帯の櫓は中がきれいですね。倉庫っぽくないというか。
工藤▶
帯の櫓は、当初建てられた板張りの4室と南側に後から増築された数寄屋部分から構成されています。
一井▶
ロの櫓はシンプルですね。
工藤▶
石垣の上に建てられたのではなく、礎石を作って土塀に密接して造られた平櫓です。重量のあるものを入れたり、防御としても使ったりしたのでしょう。現存していませんが、西側にも櫓がありました。礎石が残っているので、それが分かります。