腰物とは刀のことで、筒状の容器に入れて運びました。筒の持ち手が銀色の金具で、金色の家紋が描かれているため、殿様(藩主)の刀が入っていたとされます。
小姓とは武士の職名のひとつであり、殿様(藩主)の側に仕え、身辺の雑務を担う者。また、殿様の警護なども務めました。
鉄砲を備える者。大名行列では青みを帯びた深紅色の毛織物の鉄砲袋に入れて運びました。
衣類や具足、文書などを挟箱という容器に入れて運びました。両掛けの挟箱で、殿様(藩主)または藩士の物が入っていました。
弓2本と矢籠、弦巻を一緒にしたものを弓立または弓台と言い、それを担ぐ者。主に殿様(藩主)の持弓を運びました。
長持とは長方形の大きな箱のことで、殿様(藩主)の甲冑や刀、旗などの大切な物品が収納されていました。酒井家では朱塗りの武具運枠と金の家紋が描かれていました。
衣類や具足、文書などを挟箱という容器に入れて運びました。対挟箱とは片掛けの挟箱を1対としたもので、棒の先に紫の太い組紐の化粧紐を結びました。
殿様(藩主)や武将などの所在を示す馬印を備える者。酒井家が掲げた物は、徳川家康が本能寺の変で窮地に陥り、船で伊勢白子から知多半島に逃れる際に使用した船印だったとされます。
長柄の槍の冠頭を、黒い鳥毛で飾った槍を備える者。大名行列をより目立たせるためにいました。
長柄の槍の冠頭を、白熊の毛で飾った槍を備える者。大名行列をより目立たせるためにいました。
武家のシンボルである長刀を備える者。大名行列では刃先を見せず、革製の覆いで隠しました。三日月形の覆いは酒井家であることを示していました。
小姓とは武士の職名のひとつで、殿様(藩主)の側に仕え、身辺の雑務を担う者。また、殿様の警護なども務めました。
供番とは武士の職名のひとつで、殿様(藩主)の外出に伴ってその側に仕え、身辺の雑務を担う者。また、殿様の警護なども務めました。
本陣の中心に位置し、殿様(藩主)は駕籠に乗って移動しました。衣装は明治時代に描かれた酒井忠績(ただしげ)の肖像写真などを参考に制作しました。
人足と呼ばれる日雇いの労働者が駕籠を担ぎ、その者を陸尺(ろくしゃく)と言いました。陸尺は、美男で体格のよい者が選ばれ、賃金も他の人足に比べて高かったそうです。
刃先を黄羅紗という毛織物の鞘で覆った槍を備える者。駕籠の前に立て、殿様(藩主)の所在を伝えるとともに家格を示し、酒井家は家格の高い2本槍を用いました。
身分の高い人に差し掛ける傘を備える者。大名行列では畳み、覆いがかけられていました。酒井家は家格の高い爪折長傘を用いました。
身分の高い人が外出する際に飾り笠として用いた台笠を備える者。長柄の先には黒のビロードなどでできた袋に入れた被り笠をつけていました。
殿様(藩主)の行列にお供する武士が自分の存在を誇示するための槍を掲げる者。穂先を覆う鞘の形は武士により多種多様であり、個性的なものが多かったといいます。
衣類や具足、文書などを挟箱という容器に入れて運びました。両掛けの挟箱で、殿様(藩主)または藩士の物が入っていました。
合羽を収納した籠を持つ者。合羽はもともとマント状の上着で、防寒用の服として使われていました。
殿様(藩主)にお茶を点て、また茶道具の管理をする者。剃髪していたため坊主と呼ばれていますが、僧ではなく武士階級に属していました。
茶弁当箱とは殿様(藩主)の外出用の飲食物運搬用具で、両掛にして運ばれました。茶弁当箱を持っていくのには、徳川幕府からの許可が必要でした。