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姫路市立城郭研究室

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    姫路城への道しるべ 第4章 作事・御殿・蔵など

    • 公開日:2021年7月5日
    • 更新日:2021年9月27日
    • ID:17239

    第4章 作事・御殿・蔵など

    はじめに

    「道しるべ」はあくまでも参考です。まず、橋本政次『姫路城の話』や三浦正幸『城のつくり方図典』の関連ページを読んでいただき、それ以外の本は興味や時間に合わせて自由に選択してください。

    『姫路城の話』から

    「どんな方法で築いたか」(15ページ)の作事の項目を確認しましょう。「材料はどうしてどこから集めたか」(11ページ)には天守などに使用した木材の種類があげられています。その他、「天守はどんな構造になっているか」(26ページ)・「天守の戸襖や畳は入れていたか」(35ページ)・「大天守の高さはどれほどあるか」(37ページ)・「なぜ白壁としたか」(39ページ)・「なぜいろいろの紋瓦を用いているか」(41ページ)・「なぜ鯱瓦を棟飾とするか」(42ページ)・「櫓数はどれほどあるか」(43ページ)・「油壁とはどんな壁か」(49ページ)があります。「石と瓦はどれほど使っているか」(37ページ)の瓦に関する部分にも目を通しておいてください。
    御殿については「城主はどこに住んだか」、蔵については「武具蔵、焔硝蔵、金蔵、米蔵などはどこにあったか」(52ページ)と「籠城のためにはどんな用意をしていたか」(58ページ)が関連します。

    作事(天守・櫓・門)について

    城の日本史

    建築関係の工事を作事といいます。城郭における作事の最大のものは天守です。姫路城天守の平面形は伊予松山城など同じ連立式天守〔内藤昌『城の日本史』では式〕ですが、その他の特徴については、『城のつくり方図典』(小学館)の82ページから122ページまでの「天守を上げる」を参照してください。
    さらに、櫓は130ページから143ページまで、門については146ページから161ページまで、土塀については162ページから167ページまでに構造や形式の説明がありますので、姫路城の櫓や門がどの形式に当てはまるのか調べてみてください。たとえば、姫路城には、櫓門、高麗門、棟門、埋門、穴門と五つの形式の門が残されています。それぞれどの門が該当するか確認してみてください。

    瓦について

    紋瓦については『姫路市史』第14巻別編姫路城600ページから616ページまでに瓦の種類や瓦制作技術者、城主ごとの紋瓦が収録されています。ここでは、パンフレットなどで羽柴秀吉時代の瓦とされる桐紋の軒丸瓦を、池田氏や本多氏、榊原氏など秀吉以外の大名も使用したとしています。これに対し、黒田慶一「池田氏の桐紋瓦の再検討」(『淡路洲本城』城郭談話会、1995年)では、桐紋瓦は池田家が使用したものと主張しています。いずれにせよ羽柴秀吉が桐紋の軒丸瓦を使った可能性は低そうです。

    御殿・蔵について

    御殿については『城のつくり方図典』170ページから183ページまで、蔵については186ページから188ページまでを参照してください。姫路城では御殿も蔵も現存していませんが、『姫路市史』第11巻下 史料編 付図(姫路市、1999年)に収録されている中根家所蔵の「播州姫路城図」(『姫路市史』では「姫路城内曲輪絵図」とする)を見ると、御本城や西の丸そのほか武蔵野御殿などの間取が分かります。
    それによると、現在三の丸のぼたん園にあった御本城の(大)広間は「鶴ノ間」と呼ばれ、一列配置形の平面をしていたようです。平井聖『日本の美術13 城と書院』(平凡社、1980年)によれば、この形式が広く用いられるのは1650年代以降だそうです。第1次本多時代にこの間取りが完成していたのならば、全国的に早い事例になるのかもしれません。殿舎の配列は、玄関・広間・書院が雁行に並び、広間の南には能舞台も描かれています。また、松岡利郎「備前丸・三の丸の建築構成」(『日本名城集成 姫路城』小学館)は、中根家所蔵「播州姫路城図」発見以前のものですが、御殿の様子を分析して参考になります。
    御殿の外観については、『姫路城絵図展』(城郭研究室)の34ページ・35ページ収録の「姫路城図屏風」に三の丸の本城・向屋敷と西の丸御殿の遠景がみえます。御本城は玄関・遠侍や大広間などの表が瓦葺き、奥向きが柿葺だったようです。向屋敷は園池を伴い、全体に建物の屋根は柿葺に描かれています。

    ここに注目

    天守四重目の南北両面にある二つ並んだ小さな三角屋根を『姫路城の話』では、千鳥破風としていますが、『城のつくり方図典』では比翼入母屋と呼んでいます。比翼入母屋と呼ぶのは、平井聖「城の基礎知識」(『日本城郭大事典』新人物往来社、1997年)にあるように、これと五重目の中央にある千鳥破風とを合わせてできる大きな三角形を、東西両面の三重目から四重目にあるような(大)入母屋破風(『姫路城の話』では「大千鳥破風」と呼んでいます)の変形と見るからです。
    つまり、望楼式の大屋根を90度ずらせて二回重ねたとしたと解釈しているわけです。そう考えると、唐破風の位置も南北面と東西面で一重ずつずれながら同じ配置で並んでいて、破風の配置に基本パターンがあったことが分かります。さらに、その配置が彦根城の破風と一致するのも面白いですね。
    この他、姫路城の瓦の特徴としては、滴水瓦を天守や菱の門など主要建物に使用している点があげられます。滴水瓦そのものは熊本城など関ヶ原合戦前後に築かれた城で他にも使用が知られています。しかし、その多くが後に和式の瓦へ葺き変えているのに対し、姫路城では現在まで使用されているのが注目されます。

    キーワード

    1. 連立式天守
    2. 望楼式天守
    3. 層塔式天守
    4. 櫓門
    5. 高麗門
    6. 軒丸瓦
    7. 滴水瓦
    8. 遠侍
    9. 書院造
    10. 雁行
    11. 柿葺
    12. 千鳥破風