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姫路城への道しるべ 第6章 姫路城と人物・伝説

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第6章 姫路城と人物・伝説

橋本政次『姫路城の話』から

人物については、「千姫はどこに住んだか」(77ページ)や「高尾はどこに居ったか」(79ページ)を読んでみてください。伝説については、「播州皿屋敷は根拠があるか」(74ページ)や「姥が石はどんな謂れがあるか」(75ページ)、「大工棟梁桜井源兵衛は果たして自殺したか」(76ページ)などがあります。

人物について

千姫考
播磨灘物語展

姫路城ゆかりの人物といえば、播磨学研究所編『姫路城を彩る人たち』(神戸新聞総合出版センター、2000年)で取り挙げられている千姫(川口汐子執筆)や黒田官兵衛(橘川真一執筆)、酒井宗雅(甲斐史子執筆)、酒井抱一(吉中充代執筆)などの15人が代表でしょう。昨今注目されている酒井忠以(宗雅)については、姫路文学館が『風雅を愛した姫路城主酒井宗雅展』別ウィンドウで開く(1991年)、『姫路城主酒井宗雅の夢展』(2008年)という良質な2冊の図録を刊行していて、とても勉強になります。また、まとまった千姫の伝記としては、橋本政次『千姫考』(神戸新聞総合出版センター、1990年)があります。その他にも、姫路城や姫路藩関係の書籍で千姫について項目を設けるものが多くあります。ただ、姫路城で居住したのが西の丸と武蔵野御殿のどちらかなど、城に関係することについては不明な点も多く、化粧櫓に住んでいたと思っている人すらいるようです。誕生日についても慶長2年(1597年)の4月11日と5月10日の二説があり、橋本氏は前者が正しいとしていますが、このように記述の混乱は少なくありません。さらに、吉田御殿のような伝説もあって実像がつかみにくいのも事実です。
また、安西篤子『千姫微笑』(講談社文庫、1988年)、澤田ふじ子『千姫絵姿』(秋田書店、1987年)、東めぐみ『千姫夢物り』(近代文藝社、1993年)など千姫を主人公とした小説も数多くあります。もちろん、これらは創作を含む文学であり、事実の解明を目的としたものではありません。しかし、歴史的事実が、それを受け取る我々の中で再構成されたものであるとすれば、千姫への現代人の眼差しを読み取っておくことも、歴史上の人物を理解する上で有効かもしれません。
そういった意味で、黒田官兵衛孝高についても司馬遼太郎『播磨灘物語』(講談社、1975年)のイメージは広く行き渡っています。それに関連して、姫路文学館の開館1周年記念図録『播磨灘物語展』別ウィンドウで開く(姫路文学館、1992年)に関係資料が収録され参考になります。ただ、歴史の研究としては江戸時代に福岡藩が編纂した『新訂黒田家譜』第一巻(文献出版、1983年)の「孝高記」から読んでみてはいかがでしょう。ここには「姫路の城ハ小寺の端城にて」という記述や、孝高が姫路城の二の丸に居住していたなど興味深い記事が多数あります。また、関連古文書も多数収録されており便利です。
池田輝政についても多数の文献がありますが、伊藤ていじ「池田輝政と姫路城」(『世界の遺産姫路城』神戸新聞総合出版センター、1994年)や、『姫路城の話』131ページの萩原一義「姫路城の内曲輪はなぜ細かく縄張されているのですか」では、姫路城の構造を輝政の人物像を結びつけて解釈しようとしています。

伝説について

城郭の『デザイン』

伝説については、『姫路市史』第14巻、554ページに「姫路城の伝説と文学」があり、有名な皿屋敷などとともに、現在では余り知られていない『諸国百物語』や『西鶴諸国ばなし』などの怪異談も取り上げられています。さらに、埴岡真弓「「姫路城七不思議」のふしぎ」(『BanCul』2001年冬号、神戸新聞総合出版センター発売)でも「お菊井戸」や「姥ヶ石」などについて、その背景を分析しています。城内のお菊井戸や腹切丸が事実でないことは当然として、それらが古くからの伝説でなく、明治末の一般公開にあわせて作られた可能性が高いことは、余り知られていないのではないでしょうか。
皿屋敷伝説については、江戸時代の『西播怪談実記』(松蔭女子学院国文学研究室、1970年)に桐の馬場に存在した全く異なる物語も収録されており(埴岡真弓『播磨の妖怪たち』神戸新聞総合出版センター、2001年)、伝説自体が伝説化しているようです。
皿屋敷が本家争いのある姫路と番町だけでなく、佐用や尼崎、彦根など各地にあることは有名ですが、伊藤篤『日本の皿屋敷伝説』(海鳥社、2002年)は、それらを丁寧に集めた力作です。このなかで、伊藤氏は山名時代の物語を皿屋敷の原形とし、姫路の青山を九州から実際に訪ねており、その熱意には頭が下がります。
また、宮田登「お菊の死」(『ヒメの民俗学』ちくま学芸文庫、2000年)では、皿屋敷は城下町などの新設に伴う更地の屋敷がもとになっていると指摘しています。お菊という名前についても宮田氏は、「菊」は「聞く」に通じるとして異界からの知らせを聞き取る巫女の姿を読み取っています。しかし、菊理姫命との関連を指摘する説もあり、諸星大二郎『黄泉からの声』(集英社、1994年)はこちらの説です。
以上のような皿屋敷の研究現状については、『はりま伝説散歩』(神戸新聞総合出版センター、2002年)の埴岡真弓「お菊さん」が大変参考になりますし、全国の「皿屋敷伝説」を網羅的に示し、伝説と文学・芸能の関わりやその背後に見えてくるものをまとめた『怪談皿屋敷のナゾ』別ウィンドウで開く(姫路文学館、2018年)という良質な図録もあります。また、『はりま伝説散歩』に収録された同じく埴岡氏の「おさかべ姫」は、ゆかた祭りの起源と「おさかべ」との関わりを考察しており、伝説の伝説化を考えるうえで興味深いものです。
「姥が石」と石に対する信仰の関係については、埴岡真弓「「姫路城七不思議」のふしぎ」でもふれられていますが、さらに斎藤純「城と女性-シロ・ヒメ・姥が石」(『城郭のデザイン』兵庫県立歴史博物館、1994年)では、女性との関わりについて考察されています。ただ、この話もいつ生まれたものか、注意しておく必要があります。そういえば、近年有名になった人面石(姫路城ぬノ門前)も一種の伝説といえるでしょう。人物の問題と同じで、伝説は受け取る側の意識の解明とあわせて分析する必要があるようです。

キーワード

  1. 千姫
  2. 池田輝政
  3. 皿屋敷
  4. 刑部と長壁
  5. 姥が石