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姫路市立勝原小学校

KATSUHARA ELEMENTARY SCHOOL

〒671-1203 姫路市勝原区丁735番地3 地図

電話番号:079-273-6655

開校記念日 132周年

  • 公開日:2023年10月27日
  • 更新日:2023年10月27日
  • ID:20059

11年2月(木曜日)に開校132周年を迎えました。

学校の運動場東に、石碑があることを皆さんご存じですか。勝原小学校の卒業生の方は、立派な台座の上にある「頌徳碑」のことをすぐに思い浮かべられるのではないでしょうか。平成23年度の大規模改修前は、くすのきの隣で子どもたちの様子を見守り続けてくれていました。この頌徳碑は、小学校の校舎建築に尽力された小西源治さんの功績を称えて、昭和7年12月に建立されたものです。その小西源治さんについて少しご紹介します。

源治さんは、明治13年に揖保郡勝原村丁に生まれました。この地域は、昔から祭りが盛んで、秋になりお祭りが近づくと、村のあちこちから威勢の良いかけ声が聞こえてきます。そんな村で源治さんは育ちました。農家の四男だった源治さんは、12才の時に大阪の炭屋に奉公に出ました。炭屋に行ってからは、朝早いうちから起き、せっせと働く毎日でした。炭屋のだんなさんは、真面目に働く源治さんのことをたいへん気に入り、商売について教えたり、いろいろな人に紹介したりしました。昼間は言うにおよばず、夜遅くまで働く源治さんの姿は、やがて周りの人の目にとまりました。そして、店をもつための資金を出してくれる人が現れ、源治さんは、自分で商売を始めることになりました。源治さんは、前にも増して一生懸命に働き、店をどんどん大きくしていきました。しかし、仕事で金もうけをするだけではなく、貧しくて学校に行けない子に学費を与えたり、多額の費用を出して保育所を作ったりしました。

「とにかく、人のために尽くせよ」これが、源治さんの口癖です。そんな源治さんは、自分が生まれ、子ども時代を過ごしたふるさとのことも忘れてはいませんでした。「自分のふるさとである勝原の子ども達も応援してやらねば。」そう考えた源治さんは、勝原小学校にたくさんのお金を寄付しました。そのお金で、勝原小学校の校舎を新しく作りかえることができました。講堂をはじめ平屋建ての校舎などを作りました。それはそれは立派な勝原小学校が完成しました。しかし、源治さんは、小学校の完成を目にしないまま、昭和7年にその生涯を閉じました。

この紹介文は、道徳の自作教材「ふるさとへの思い -小西源治- 」から抜粋したものです。この教材は、平成23年から24年にかけて、地域の方々からの聞き取りや源治さんの子孫の方のお話をもとに、当時の勝原小学校の職員がまとめ作成したものです。6年生で主に学習してきました。

今一度、小西源治さんの思いを感じながら、皆さんに頌徳碑を見ていただきたいです。