昭和26年に初代姫子が来園した当時の貴重な写真や、2代目姫子のお出迎えの様子など、今なお市民に愛され続ける「姫子」をふり返ります。
姫路市立動物園の「象徴的」な存在といえる、ゾウの姫子。ここでは、開園当時の初代姫子の様子や、なつかしの写真、出来事とともに姫子をふり返ります。姫路市立動物園の原点がここにあります。
昭和26年(1951年)11月19日、バンコクから門司港に到着したメスのインドゾウ。船積みの予定が狂い、大幅に到着が遅れましたが、無事入港し、検疫を済ませました。
姫路市が名前を募集したところ、他府県からも応募があり、応募はがきは約3,000通を数えました。市長、商工会議所会頭、観光協会長ら7人が審査員となり、多数決で「姫子さん」に決まりました。(名付け親は市内の中学1年生男子ら4人)
命名式は昭和26年(1951年)12月9日に行われ、3万人あまりが入場、姫子には美しい赤いビロードの晴着が製菓会社から贈られました。
開園間もないころゾウ舎の写真です。
その後、成長した姫子は現在のゾウ舎に移動しました。
写真は現在の動物園の「ラクダ舎」の位置にあたり、写真のゾウ舎周りの囲いは、その装いを変え、現在のラクダ舎周辺の囲いとなっています。
「春の動物まつり」にて、体重測定をする姫子の様子です。
姫子はゆっくりと体重計にのって、自分の体重を気にしているようでした。(約3,000キログラム程度)
現在の2代目姫子も、「計量記念日」に初めて体重測定を行いました。
毎年11月1日を計量記念日として、計量制度の普及や社会全体の計量意識の向上を目指すもの。電気記念日(3月25日)、発明記念日(4月18日)、貿易記念日(6月28日)とともに経済産業省の4大記念日のひとつとなっている。
「秋の動物まつり」にて、ゾウ舎前で「くい渡り」の曲芸を披露する姫子の様子です。
現在の2代目姫子は、健康・体調管理、飼育係の安全確保のため、1日3回健康チェックをしています。
開園以来、40年間、姫子は鎖につながれていました。ゾウ舎が狭く安全性を考慮したものでした。園を訪れた子供たちが「悪いこともしていなにのにかわいそう。鎖からはずしてあげて」と姫路市長に手紙でうったえたことから、開園40周年の記念事業の一環としてゾウ舎を拡張改修し、周囲にコンクリート製の足止めを設け、平成4年1992年)3月6日、駆けつけた子どもたちから拍手を贈られながら鎖をはずしてもらいました。
ところが、3月27日、姫子がゾウ舎の堀に落ちるという事態に。
「歩く自由」を与えられてからわずか2年後の平成6年(1994年)1月21日午後3時ごろ、姫子の容態が急変しました。飼育員ら20人が交代で徹夜の看病を続けましたが、1月26日午前9時15分、老衰のため50歳の生涯に幕をおろしました。人間で言えば約80歳でした。
臨終の寸前まで時折、前脚と後ろ脚を交互に動かすしぐさに、飼育員らは「夢の中で歩き回っているのでしょう。あんなに自由を求めていたんですね」と悲しみました。
平成6年(1994年)10月にタイ生まれの「2代目」姫子(現在の姫子)が来園。体長3メートル20センチメートル、体高2メートル40センチメートル、体重3,100キログラムで17才、人間で言うと20才前後の元気盛り。食欲も旺盛で、早速駆けつけた姫子ファンの子どもたちに愛嬌をふりまきました。
2代目姫子が姫路市立動物園をますます盛り上げている頃、別のプロジェクトが着々と進行していました。平成11年(1999年)4月、市民に長く愛された初代姫子が「骨格標本」として復活しました。高さ2メートル50センチメートル、幅約2メートルで現在、姫路科学館に展示してあります。
「姫子は骨になってしまいましたが、子どもたちに科学の目で観察してほしい」と語っているようです。
2代目姫子は、今日も皆さまの心に笑みと癒しをお届けしています。
姫子を含め、姫路市立動物園の動物たちをこれからもあたたかく見守っていただければ幸いです。
現在の姫子の活躍ぶりは次のページをご覧ください。
(ゾウ舎 「姫子」のページ)
二代目「姫子」は令和2年10月24日に亡くなりました。
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