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姫路大名行列について

  • 更新日:
  • ID:34237

姫路大名行列とは

姫路大名行列のイメージ図「現代によみがえる!姫路大名行列」

ただ移動するだけのものではない!
知れば知るほど面白い大名行列の世界へ、いざ出陣。

姫路大名行列紹介動画(画像をクリックするとYouTubeへ移動します)

実は、大名の家柄の高さを見せていた、江戸時代の大名行列。
まさに、大名の威信をかけた戦いがそこにありました。

参勤交代をはじめ、江戸城への登城や参詣、市中への外出など、大名が出かける際には行列を組んで練り歩いていました。

そこには単に殿様(藩主)を警護するだけが目的ではなく、家柄や藩の権威といった力や富を誇示する重要な意味合いがあります。

行列の人数、槍や長刀などの道具、また行列の中の配置位置など、徳川幕府によりこと細かく決められており、殿様は大名行列を通じて自分がどの地位にあるのかを確認し、また周囲の大名に示す一大行事だったともいえます。

実は、その行列の大多数は日雇いアルバイトである武家奉公人だったというのも興味深いことの一つ。

特に大きな戦のなかった時代、大名たちは行列を通じて優位性を争っていたことがうかがえます。

まさに、華やかな世界に潜む、大名たちの静かなる戦い。
その隊列や衣装、道具などに込められた意味を読み取りながら見ると、歴史の面白さや奥深さに気づくはず。
いざ、大名行列の世界へと足を踏み入れてみましょう。

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姫路大名行列なるほど解説パンフレットのダウンロードはこちら!

大名行列の隊列と衣装

江戸から京都まで、約500キロメートルの大移動!

姫路藩主・酒井家の大名行列にお供したさまざまな役職や隊列たち。

姫路大名行列隊列図イメージ「1先払 2弓隊 3槍隊 4鉄砲隊 5本陣 6輜重隊」大名行列絵図「頸徳院様将軍御名代上京行列図(姫路市所蔵)より」

1 先払 Sakibarai

御先払足軽・鷹匠・対挟箱・御用物長持・旗竿

大名行列の先頭で警戒し、交通の障害や危険を取り除き、また人払いなどを行う前衛部隊。
大名行列でよく耳にする「下に〜、下に」という掛け声は徳川御三家のみに許された特権でした。

先払い
先払いの隊列図

御先払足軽(おさきばらいあしがる)

御先払足軽の衣装を着用した人

人払いといった通行の露払を行う足軽。
大名行列の通行を往来の人々に知らせ、トラブルを未然に防ぎ、また道案内なども行いました。

鷹匠(たかじょう)

鷹匠の衣装を着用した人

鷹をいただいた際、その鷹を大切に預かる者。
また、道中で殿様(藩主)が鷹狩をする際に従事しました。姫路藩主は江戸から帰る際、徳川将軍から鷹をいただきました。

対挟箱(ついはさみばこ)

対挟箱の衣装を着用した人

衣類や具足、文書などを挟箱という容器に入れて運びました。
対挟箱とは片掛けの挟箱を1対としたもので、棒の先に紫の太い組紐の化粧紐を結びました。

御用物長持(ごようものながもち)

御用物長持の衣装を着用した人

長持とは長方形の大きな箱のことで、殿様(藩主)の甲冑や刀、旗などの大切な物品が収納されていました。
酒井家では朱塗りの武具運枠と金の家紋が描かれていました。

旗竿(はたざお)

旗竿の衣装を着用した人

のぼり旗を掲げるための竿を運ぶ者。
戦国時代では、家紋の描かれたのぼりを見て、敵味方を見分け、また士気を上げる役割がありました。

2 弓隊 Yumitai

足軽小頭・弓立・矢箱・空穂

弓を備える前衛部隊で、大名行列では装いを整え、弓と矢を一緒に仕舞える弓立に入れて運びました。
鉄砲は普及していましたが、弓は戦場で最も相手にダメージを与える武器でした。

弓隊
弓隊の隊列図

足軽小頭(あしがるこがしら)

足軽小頭の衣装を着用した人

弓隊で弓や矢を運ぶ足軽たちを統率する者。
小集団をまとめる長のことを小頭といいます。

弓立(ゆだち)

弓立の衣装を着用した人

弓2本と矢籠、弦巻を一緒にしたものを弓立または弓台と言い、それを担ぐ者。主に殿様(藩主)の持弓を運びました。

矢箱(やばこ)

矢箱の衣装を着用した人

矢を数多く納められる矢箱を担ぐ者。
弓足軽は、この箱から矢の供給を受けて弓を撃ちました。

空穂(うつぼ)

空穂の衣装を着用した人

空穂とは矢を収納し弓兵が腰に背負うものですが、大名行列では装飾品として用いられました。
全体に金箔を貼り、酒井家の家紋が大きく描かれています。

3 槍隊 Yaritai

御徒士・金御紋付対挟箱・御持槍・長刀

槍を備える前衛部隊で、槍は武家を象徴する道具でした。
家の格などによって色や鞘の形などが徳川幕府より決められており、槍を見ればどの家の大名行列なのかがわかりました。

槍隊
槍隊の隊列図

御徒士(おかち)

御徒士の衣装を着用した人

槍を備える下級武士。足軽とは異なり、武士身分を持った者が務め、公的に苗字を名乗り、帯刀することも許されていました。

金御紋付対挟箱(きんごもんつきついはさみばこ)

金御紋付対挟箱の衣装を着用した人

殿様(藩主)や藩士の着替えなどを入れた挟箱を担ぐ者。
挟箱は家の格と威厳を示すもので、金御紋をあしらうのにも許可が必要でした。

御持槍(おもたせやり)

御持槍の衣装を着用した人

武家のシンボルである槍を備える者。
家ごとに刃先の鞘の形や柄に特徴があり、酒井家は朱塗柄を2本使用することが許された数少ない家柄でした。

長刀(なぎなた)

長刀の衣装を着用した人

武家のシンボルである長刀を備える者。
大名行列では刃先を見せず、革製の覆いで隠していました。
三日月形の覆いは酒井家であることを示しました。

4 鉄砲隊 Teppoutai

御徒士小頭・御手筒・両掛挟箱

鉄砲足軽で構成される前衛部隊で、大名行列では青みを帯びた深紅色の毛織物に入れ、肩に担いで運びました。
鉄砲は重要な武器であり、江戸へ持ち入れる際、鉄砲手形が必要でした。

鉄砲隊
鉄砲隊の隊列図

御徒士小頭(おかちこがしら)

御徒士小頭の衣装を着用した人

下級武士である徒士たちを統率する者。
小集団をまとめる長のことを小頭といいます。

御手筒(おてずつ)

御手筒の衣装を着用した人

手筒とは鉄砲のことで、殿様(藩主)や藩の鉄砲を備える者。
大名行列では青みを帯びた深紅色の毛織物の鉄砲袋に入れて運びました。

両掛挟箱(りょうがけはさみばこ)

両掛挟箱の衣装を着用した人

鉄砲の雨覆入などを収納した両掛挟箱を担ぐ者。
雨が降った場合でも発砲できるように一緒に持ち運びました。

5 本陣 Honjin

御腰物筒・御小姓供番・鉄砲 ・両掛挟箱・弓立・御用物長持・対挟箱・小馬印・黒毛槍・白毛槍・長刀・
御小姓・御供番・殿様(藩主)・駕籠舁・御手槍・長柄傘・台笠・供槍・両掛挟箱・合羽籠・坊主・茶弁当箱

駕籠に乗った殿様(藩主)を中心に、周りには殿様を守る中小姓と呼ばれる武士や殿様の身の回りの世話をする者、側近たちなどがいました。
大名行列の核であり、殿様を囲む隊列のことです。

本陣
本陣の隊列図

御腰物筒(おこしものづつ)

御腰物筒の衣装を着用した人

腰物とは刀のことで、筒状の容器に入れて運びました。
筒の持ち手が銀色の金具で、金色の家紋が描かれているため、殿様(藩主)の刀が入っていたとされます。

御小姓供番(おこしょうともばん)

御小姓供番の衣装を着用した人

小姓とは武士の職名のひとつであり、殿様(藩主)の側に仕え、身辺の雑務を担う者。
また、殿様の警護なども務めました。

鉄砲(てっぽう)

鉄砲の衣装を着用した人

鉄砲を備える者。
大名行列では青みを帯びた深紅色の毛織物の鉄砲袋に入れて運びました。

両掛挟箱(りょうがけはさみばこ)

両掛挟箱の衣装を着用した人

衣類や具足、文書などを挟箱という容器に入れて運びました。
両掛けの挟箱で、殿様(藩主)または藩士の物が入っていました。

弓立(ゆだち)

弓立の衣装を着用した人

弓2本と矢籠、弦巻を一緒にしたものを弓立または弓台と言い、それを担ぐ者。
主に殿様(藩主)の持弓を運びました。

御用物長持(ごようものながもち)

御用物長持の衣装を着用した人

長持とは長方形の大きな箱のことで、殿様(藩主)の甲冑や刀、旗などの大切な物品が収納されていました。
酒井家では朱塗りの武具運枠と金の家紋が描かれていました。

対挟箱(ついはさみばこ)

対挟箱の衣装を着用した人

衣類や具足、文書などを挟箱という容器に入れて運びました。
対挟箱とは片掛けの挟箱を1対としたもので、棒の先に紫の太い組紐の化粧紐を結びました。

小馬印(こうまじるし)

小馬印の衣装を着用した人

殿様(藩主)や武将などの所在を示す馬印を備える者。
酒井家が掲げた物は、徳川家康が本能寺の変で窮地に陥り、船で伊勢白子から知多半島に逃れる際に使用した船印だったとされます。

黒毛槍(くろげやり)

黒毛槍の衣装を着用した人

長柄の槍の冠頭を、黒い鳥毛で飾った槍を備える者。
大名行列をより目立たせるためにいました。

白毛槍(しろげやり)

白毛槍の衣装を着用した人

長柄の槍の冠頭を、白熊の毛で飾った槍を備える者。
大名行列をより目立たせるためにいました。

長刀(なぎなた)

長刀の衣装を着用した人

武家のシンボルである長刀を備える者。
大名行列では刃先を見せず、革製の覆いで隠しました。三日月形の覆いは酒井家であることを示していました。

御小姓(おこしょう)

御小姓の衣装を着用した人

小姓とは武士の職名のひとつで、殿様(藩主)の側に仕え、身辺の雑務を担う者。
また、殿様の警護なども務めました。

御供番(おともばん)

御伴番の衣装を着用した人

供番とは武士の職名のひとつで、殿様(藩主)の外出に伴ってその側に仕え、身辺の雑務を担う者。
また、殿様の警護なども務めました。

殿様(藩主)(とのさま(はんしゅ))

殿様の衣装を着用した人

本陣の中心に位置し、殿様(藩主)は駕籠に乗って移動しました。
衣装は明治時代に描かれた酒井忠績(ただしげ)の肖像写真などを参考に制作しました。

駕籠舁(かごかき)

駕籠舁の衣装を着用した人

人足と呼ばれる日雇いの労働者が駕籠を担ぎ、その者を陸尺(ろくしゃく)と言いました。
陸尺は、美男で体格のよい者が選ばれ、賃金も他の人足に比べて高かったそうです。

御手槍(おてやり)

御手槍の衣装を着用した人

刃先を黄羅紗という毛織物の鞘で覆った槍を備える者。
駕籠の前に立て、殿様(藩主)の所在を伝えるとともに家格を示し、酒井家は家格の高い2本槍を用いました。

長柄傘(ながえがさ)

長柄傘の衣装を着用した人

身分の高い人に差し掛ける傘を備える者。
大名行列では畳み、覆いがかけられていました。酒井家は家格の高い爪折長傘を用いました。

台笠(だいがさ)

台笠の衣装を着用した人

身分の高い人が外出する際に飾り笠として用いた台笠を備える者。
長柄の先には黒のビロードなどでできた袋に入れた被り笠をつけていました。

供槍(ともやり)

供槍の衣装を着用した人

殿様(藩主)の行列にお供する武士が自分の存在を誇示するための槍を掲げる者。
穂先を覆う鞘の形は武士により多種多様であり、個性的なものが多かったといいます。

両掛挟箱(りょうがけはさみばこ)

両掛挟箱の衣装を着用した人

衣類や具足、文書などを挟箱という容器に入れて運びました。
両掛けの挟箱で、殿様(藩主)または藩士の物が入っていました。

合羽籠(かっぱかご)

合羽籠の衣装を着用した人

合羽を収納した籠を持つ者。
合羽はもともとマント状の上着で、防寒用の服として使われていました。

坊主(ぼうず)

坊主の衣装を着用した人

殿様(藩主)にお茶を点て、また茶道具の管理をする者。
剃髪していたため坊主と呼ばれていますが、僧ではなく武士階級に属していました。

茶弁当箱(ちゃべんとうばこ)

茶弁当箱の衣装を着用した人

茶弁当箱とは殿様(藩主)の外出用の飲食物運搬用具で、両掛にして運ばれました。
茶弁当箱を持っていくのには、徳川幕府からの許可が必要でした。

6 輜重隊 Shichoutai

長持・使番・使番御足軽・口付・沓籠・両掛鋏箱

大名行列に必要な物資を運ぶ輸送部隊で、長持や挟箱などと呼ばれる容器に収納し、担ぎ手あるいは荷馬に乗せて運びました。
殿様(藩主)の生活がまるごと移動するため、その量は大量だったそうです。

輜重隊
輜重隊の隊列図

長持(ながもち)

長持の衣装を着用した人

長持とは衣装や日用品などを入れる蓋つきの箱で、人足や中間と呼ばれる日雇いの労働者が担ぎました。
日除けや埃などを避けるため、油をしみ込ませた家紋入りの布を掛けていました。

使番(つかいばん)

使番の衣装を着用した人

藩に仕える者の役職のひとつで、大名行列の全体の巡視や、連絡が必要な時の伝令役を担いました。

使番御足軽(つかいばんおあしがる)

使番御足軽の衣装を着用した人

使番のもとで働く足軽。
殿様(藩主)の命令を周りに伝え、客人の対応をするなど、幅広い業務を行う使番の側で補助役を担いました。

口付(くちつき)

口付の衣装を着用した人

口付とは馬をひき、馬の世話をする者のこと。
御召馬の鞍に掛けられた虎皮鞍覆は、家格の高い大名しか使用が許されませんでした。

沓籠(くつかご)

沓籠の衣装を着用した人

長距離移動の際、馬の蹄がすり減るため草鞋を履かせていました。
その草鞋を沓と表し、付け替え用の沓を籠に入れ、ともに移動していました。

両掛鋏箱(りょうがけはさみばこ)

両掛挟箱の衣装を着用した人

衣類のほかに理髪や洗面などに使用する物を挟箱という容器に入れて運びました。
両掛けの挟箱で、殿様(藩主)または藩士の物が入っていました。

大名行列豆知識

実はスゴイぞ、姫路藩!
大名行列からもわかる、その格式高さの証とは。

1 武功の証しである朱柄槍を、大名行列で備えていた!

朱柄槍のイメージ図

柄が赤(朱)色で塗られた朱柄槍は武功の証しであり、1575年(天正3年)の諏訪原城攻めの戦功として酒井正親(まさちか)が「朱長柄」100本を徳川家康からいただいたといわれています。この朱柄槍を持てるのは、一説には大名家ではほかに2家に限られていたそうです。

2 馬の買い付けは、徳川将軍家の次の番だった!

良馬のイメージ

馬の産地である南部藩(現・岩手県中部から青森県東部)や仙台藩(現・岩手県南部、宮城県全域など)から、良馬が江戸にひかれてきました。そこから徳川将軍家が最初に馬を品定めし、良馬を入手しました。
その次に馬を選べたのが酒井家で、良馬を何頭も持っていたそうです。

3 姫路に帰る際、徳川将軍から鷹をいただいた!

鷹のイメージ

数多い大名家の中でも限られた家だけが鷹をいただくことができ、とても栄誉なことでした。
鷹は大名行列に遅れて姫路に届けられ、家臣たちの見守る中、姫路城の三の丸本城の玄関から虎の間を通り、鶴の間へと、大切なお客様を招くように迎えられました。

4 御召馬の鞍覆は、武威の象徴である虎皮の鞍覆だった!

虎皮の鞍覆を使った御召馬のイメージ

大名行列で率いる馬の鞍覆も大名の家格を示す重要な物の一つでした。
特に、鞍覆を掛けられる家で虎皮が使えたのは徳川御三家や徳川将軍家一門である松平の各家や国持大名のみでしたが、酒井家は特別に虎皮の使用を認められていました。

5 大名行列では、「金紋」がついた挟箱を使っていた!

金御紋付対挟箱のイメージ

駕籠の前や後に配置される挟箱を「先箱」「跡箱」といい、大名行列を象徴する持物の一つでした。
箱の覆いや箱につける家紋などを美しく飾っていましたが、特に金紋は自由につけることができず、家格の高い家のみが徳川幕府より使用を許されていました。

数字で見る大名行列

意外な事実が見えてくる!
姫路大名行列にまつわる数字を徹底追究。

約450人が前後2メートル間隔で並ぶと約900メートルになる

姫路藩の参勤交代で要した行列の人数

1741年(寛保元年)9月20日、姫路3代藩主・榊原政岑(まさみね)の参勤交代では、450人余りの人数が大名行列をなしたと記録されています。
20万石以上の領地を持つ大大名が率いる人数は385人から450人であり、姫路藩の参勤交代の規模の大きさを知ることができます。

8合約1.44リットルのお酒

酒気帯び行列?!
酒井家の陸尺が飲んだ酒の量

殿様(藩主)や藩士を乗せた駕籠を担ぐ者を陸尺(ろくしゃく)といい、酒井家の大名行列の際に立ち寄った三河・二川宿本陣(現・愛知県豊橋市)で酒をねだったといいます。その際、提供された酒量は8合だったとか。
当時、陸尺たちは一杯飲んでから担ぐのが普通だったそうで、飲まないとできないほどつらかったのかもしれません。

姫路から江戸でかかった日数は27泊28日

越すに越されぬ・・・
姫路から江戸間でかかった日数

大名行列を特に困らされたのが川越えでした。
領土の防衛のため橋が掛かっていることはほとんどなく、人足と呼ばれる日雇い労働者が殿様(藩主)や藩士などを担いで渡ったといいます。
そのため、増水時などは川留めに逢い、平均18泊19日のところ10日も余計にかかったこともありました。

30反は約300メートル
高さ約300メートルのあべのハルカス同じ高さ(長さ)であった高砂染の反物

徳川幕府への献上品である反物の長さ

姫路藩主・酒井家は、参勤で江戸を訪れた際、徳川幕府へ姫路藩の特産品である高砂染の染物を献上していました。
高砂染とは兵庫県高砂市の、長寿や縁結びなどの象徴である相生の松をモチーフに、翁や老婆、松葉などが描かれた吉祥文様を型染めする染め物で、その数量は30反にものぼったといいます。
全てつなげると約300メートルもの長さになります。

姫路から江戸間は大名行列だと徒歩で時速約4キロメートル(一日約34キロメートル)で、総距離約640キロメートルであった

参勤交代では、一般的に姫路を出発し京都・伏見へ、東海道を通り関ヶ原を経由するコースが考えられます。
出発の約半年前から藩の担当者がルートや宿泊日程表などを作成していたそうです。
また、歩行速度を時速4キロメートルの場合、一日8時間ほど歩いていたことに。
重い行列道具を持ちながら歩きつづけるとなると、なんとも骨の折れる旅路だったことでしょう。

動画&フォトギャラリー

大名行列で使用した衣装や調度品等は、本市所蔵の大名行列の絵図(顕徳院様将軍御名代上京行列図)をもとに制作しました。
また、隊列は姫路藩酒井家の参勤交代の行列図である「播州姫路酒井雅楽頭御行列」(西尾市岩瀬文庫所蔵)を参考に編成しました。

大名行列絵図「顕徳院様将軍御名代上京行列図」

大名行列絵図「顕徳院様将軍御名代上京行列図」(姫路市所蔵)

2026 年「姫路大名行列」再現パレードフォトギャラリー

第76回姫路お城まつり(令和8年5月23日(土曜日)開催)で、六回目となる大名行列再現パレードを開催しました。

姫路大名行列では、公募参加者のほか、協力団体(117グループ様、但陽信用金庫様、姫路市職員ほか)約70名により再現された姫路藩大名行列を披露しています。
毎回姫路お城まつりの目玉となっており、沿道の来場者に見守られながら、姫路城前から大手前通りを約250メートルにわたって練り歩きます。
また、長野県飯田市よりお招きした本町三丁目大名行列保存会の皆さんに情熱的なご指導をいただき練習に練習を重ね、本番を迎えております。

第76回姫路お城まつりでの姫路大名行列の様子1
第76回姫路お城まつりでの姫路大名行列の様子2
第76回姫路お城まつりでの姫路大名行列の様子3
第76回姫路お城まつりでの姫路大名行列の様子4
第76回姫路お城まつりでの姫路大名行列の様子5
第76回姫路お城まつりでの姫路大名行列の様子6
第76回姫路お城まつりでの姫路大名行列の様子7
第76回姫路お城まつりでの姫路大名行列の様子8
第76回姫路お城まつりでの姫路大名行列の様子9
第76回姫路お城まつりでの姫路大名行列の様子10
第76回姫路お城まつりでの姫路大名行列の様子11
第76回姫路お城まつりでの姫路大名行列の様子12
第76回姫路お城まつりでの姫路大名行列の様子13
第76回姫路お城まつりでの姫路大名行列の様子14
第76回姫路お城まつりでの姫路大名行列の様子15
第76回姫路お城まつりでの姫路大名行列の様子16
第76回姫路お城まつりでの姫路大名行列の様子17
第76回姫路お城まつりでの姫路大名行列の様子18
第76回姫路お城まつりでの姫路大名行列の様子19
第76回姫路お城まつりでの姫路大名行列の様子20
第76回姫路お城まつりでの姫路大名行列の様子21

「飯田お練りまつり」における本町三丁目大名行列保存会(長野県飯田市)による所作動画ギャラリー

今後、姫路大名行列では、「本町三丁目大名行列保存会」(長野県飯田市)の所望・行列所作を参考に、大名行列を実施することから、長野県飯田市で七年に一度実施される飯田お練りまつり(2022年3月実施)で披露された本町三丁目大名行列保存会の所望・行列所作を紹介します。

飯田お練りまつり 大名行列確認用動画<掛け声>

飯田お練りまつり 大名行列確認用動画<編成>

飯田お練りまつり 大名行列<行列所作(1)> 化粧傘・先箱

飯田お練りまつり 大名行列<行列所作(2)> 黒車熊・天狗車熊

飯田お練りまつり 大名行列<行列所作(3)> 白車熊・富士型

飯田お練りまつり 大名行列<行列所作(4)> 大車熊・傘組・草履組

所望所作動画(1) 化粧傘・先箱・黒車熊・天狗車熊・白車熊・富士型

所望所作動画(2) 大車熊・往来大鳥毛・草履組・傘組

お問い合わせ

姫路お城まつり奉賛会事務局

(姫路市役所 観光経済局   観光コンベンション室内)

住所: 〒670-8501 姫路市安田四丁目1番地 本庁舎9階

電話番号: 079-221-1520 ファクス番号: 079-221-1527

E-mail: oshirofes@city.himeji.lg.jp

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