広い平野と、穏やかな瀬戸内海、温暖な気候と豊かな産業に恵まれて、姫路の地は独自の風土を形成してきました。なかでも城下町として栄えた江戸時代の中ごろは、藩主酒井公が学問を奨励したこともあって豊かな文化が花開きました。その文化が明治以降に日本を代表する学者や文人を輩出する土壌となったのです。
姫路文学館では、これらの素晴らしい人びとの中から和辻哲郎、阿部知二、椎名麟三など郷土ゆかりの文人の仕事を中心に紹介しています。もちろん、文人以外にも原爆の悲惨さを世界へ訴えた都築正男博士をはじめ、数多くの先覚者が優れた業績を残しています。特に最近では、姫路ゆかりの人びとのさまざまな分野での活躍が目立ちます。
高田賢三 ファッションデザイナー
永井一正 グラフィックデザイナー
94年5月、姫路で開催されたKENZOショー。
高田賢三氏デザインの衣装206点が華やかに披露されました。
洋画家。
旧西魚町出身。
旧制姫路中学卒業後、上京。独立美術協会展に出品を続け、海南賞や独立賞受賞。独立美術協会会友。
1996年に姫路市立美術館で「飯田操朗と前衛の時代」展開催。
日本画家。
手柄出身。
竹内栖鳳に師事。(現)京都市立芸大在学中に帝展初入選。日展特選・白寿賞、勲四等旭日小綬章、紺綬褒章など。日本芸術院会員。近代感覚で装飾的な花鳥画を描いた。
洋画家。
10歳で姫路へ。(現)東京芸大在学時からシュールレアリスム的作品を描き、独立美術協会賞受賞。
多摩美大、東京芸大教授などを務め、後年は立体的作品を数多く発表した。
医学者。
旧光源寺前町出身。
東京大学卒業後、軍医、東京大学教授などを務め、広島・長崎の原子爆弾投下直後に現地で治療・調査にあたった。原爆症研究の権威として国際的に活躍。核廃絶に尽力。
思想家・哲学者。
仁豊野出身。
旧制姫路中学から東京大学へ。日本文化の研究と独自の倫理学の構築に取り組み、京都大学や東京大学などの教授を務めた。「古寺巡礼」、「風土」など名著も多い。
小説家。
9歳から姫路に住み、旧制姫路中学から東京大学へ。代表作に「冬の宿」ほか、姫路を取り上げた短編集「城」や「白鯨」でも知られる。平和運動にも尽力した。
小説家。
書写出身。
旧制姫路中学中退後、現在の山陽電鉄に入社し労働運動に参加。自由や愛などのテーマを新しい感覚で描いた戦後文学の代表者。代表作に「美しい女」。
小説家。
祖父が広畑の出身であるなど、姫路とは縁が深い。
独自の史観による歴史小説を開拓し、播磨を舞台にした「播磨灘物語」や「竜馬がゆく」、「翔ぶが如く」など膨大な作品を残した。
元東大寺管長。
姫路市六角出身。
昭和2年、東大寺塔頭宝厳院に入寺。昭和47年、二月堂修二会(お水取り)の大導師を務める。昭和56年、東大寺塔頭宝厳院の長老となる。東大寺の執務を続けるかたわら全国を巡り、陶芸作品や絵日記などの創作を行う。平成6年にオープンした姫路市書写の里・美術工芸館に多数の作品を寄贈、また同館の名誉館長も務めた。
俳優・声優。
昭和5年、姫路市出身。旧制姫路中学を経て関西学院大学予科中退。映画やテレビドラマ、舞台などに数多く出演し、性格俳優として独特のキャラクターを発揮。テレビドラマ「渡る世間は鬼ばかり」など、晩年も精力的な俳優活動を展開。演劇界の重鎮として活躍した。
落語家・人間国宝。
大正14年、現在の中国・大連生まれ。東京の大東文化学院(現・大東文化大学)に進学し、在学中に作家で演芸評論家の正岡容(いるる)さん(故人)に師事。落語の研究家を目指したが、高座の魅力にひかれ、昭和22年に四代目桂米團治に入門して三代目桂米朝を襲名した。
平成8年、江戸落語の柳家小さんさん(故人)に続いて落語界2人目の人間国宝に。落語界で初めて14年に文化功労者、21年には文化勲章を受章した。
西の比叡山と呼ばれている、書写山円教寺の開祖。
鎌倉幕府討伐に活躍し、播磨の国の守護に任じられる。元弘3年(1333年)2月、姫路城のある姫山にとりでを築いた。
天正9年(1581年)3月、3層の天守閣からなる姫路城を築いた。
秀吉の軍師として有名。天正7年(1579年)秀吉に城を譲るまで、3代35年間にわたっての姫路城城主。
関が原の合戦後、西国外様大名に対する抑えとして、8年の歳月と約2430万の延べ人員をもって、今に残る姫路城を築いた。
徳川家康の孫娘・豊臣秀頼に嫁いだが、大阪落城の後、当時の姫路城城主本多忠政の子、忠刻と再婚。菱の門に行く道の西側にあった武蔵野御殿に住んだ。
不生禅を提唱。かな文字や日常語で民衆に分かりやすく禅を説いた。寛文元年(1661年)、網干に龍門寺を建立。
など
播州音頭・伊勢音頭・網干音頭・姫路音頭・白鷺の城(村田英雄 歌)など
姫路市には、飾磨区細江や網干区新在家などといった「区」が付く地名があります。これらの「区」は、東京都の特別区や政令指定都市の区とは違うものです。
姫路市の「区」は地方自治法が施行される以前の1946年3月に姫路市と、当時の飾磨市、飾磨郡広畑町、同郡白浜町、揖保郡網干町、同郡大津村、同郡勝原村、同郡余部村の2市3町3村が合併したときの名残です。それぞれが現在の飾磨区、広畑区、網干区、大津区、勝原区、余部区となりました(ただし飾磨郡白浜町は、白浜町のまま)。したがって、飾磨区細江など、○○区○○で一つの地名となります。
このような経緯から、姫路市の「区」は、東京都の特別区や政令指定都市の区とは異なり、区役所などはありません。市役所の出先機関として、市内に駅前市役所・支所(5か所)・出張所(6か所)・サービスセンター(8か所)のほか、平成18年の市町合併に伴い設置した地域事務所(家島、夢前、香寺、安富の4か所)があります。
「さぎ草」は、白く清楚な野草で開花したときは、あたかも「白鷺」が飛ぶ姿に似ているため、「白さぎ草」とも呼ばれ、親しまれています。このさぎ草は、熱帯、温帯を問わずほとんど全世界に分布しているラン科の植物です。姫路市では、市のシンボル姫路城の別名「白鷺城」にちなみ、このさぎ草を昭和41年8月18日、市花として制定しました。
「カシ」は、東アジアから東南アジアの暖地に自生しているブナ科の植物で約40種類があります。日本においては、特に西日本に多く自生しており、一年中緑を保つ常緑の木であり、また、たいへん樹勢が強く育ちやすい木で、みんなに親しまれています。都市の緑化が緊要な課題となっている今日、「緑の姫路」を創造するのに最もふさわしい樹木として、昭和47年10月5日に市木に制定しました。
姫路城は「白鷺城」の別名があり、マツのすき間から見える白壁がマツに集うシラサギのようであったといわれています。シラサギは、市内に広く分布する純白の美しい鳥です。コサギ、チュウサギ、ダイサギなどを合わせてシラサギと呼んでいる。これらの内、最もよく目につくのはコサギで、小型で、くちばしが黒く、足の指が黄色いことで他と区別できます。浅い水中に棲むザリガニ、カエル、小魚などを食べています。
ジャコウアゲハのさなぎが「播州皿屋敷」のお菊の化身とされて、戦前お菊神社でこのさなぎが売られていました。さなぎの形が後ろ手に縛られたお菊の姿に似て、口紅を付けたような赤い斑点もあります。成虫は、黒っぽい色で後羽に長い尾があります。4月から9月に発生し、ゆるやかに飛んで、ツツジ、ウツギ、アザミ、トベラなどの花で吸蜜します。市内にも数は少ないが、随所で見ることができます。
姫路市でも都市化が進み、自然環境が変化している現在、自然に関心を持って鳥や昆虫に親しみ、自然保護思想を高め培っていくため、市制100周年に当たり本市にふさわしい鳥と昆虫を選定し、平成元年4月1日「市鳥」と「市蝶」を制定しました。