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稲垣子華墓

  • 更新日:
  • ID:1979

名称

稲垣子華墓

概要

稲垣子華は、岡山県田殿の人で、少年にして大阪懐徳堂主、中井甃奄に奇寓して学んだ。20歳の時甃奄推薦で安志藩校教頭に招かれた。宝暦4年(1754)、老父が田殿を離れないので、故郷に帰り孝養を尽くした。また農業に励み、その行いは近隣の村々を感化するまでになった。
これが幕府にも聞こえ、明和元年(1764)銀20枚を下賜して褒賞した。そのため孝子浅之丞として知られ、官撰の「徳川実紀」にも記されている。中井竹山は、ただちに「子華孝状」を書き出版した。地元の「美作略史」「美作孝民記」にも載る。
父の没後、再び安志に帰り藩校で子弟の教育に努めたが、寛政9年(1797)1月6日安志で没した。

所在地

姫路市安富町名坂305

写真

稲垣子華墓の写真