Vol.9 杜氏 / 川石光佐さん
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西日本初の女性南部杜氏が醸す、姫路でしか味わえない地酒を

「姫路の風土に合う酒を自分の手で造りたい」。そんな思いで、家業の酒蔵を継いだ川石光佐さん。「姫路灘菊酒造」の4代目杜氏として、姫路の米や気候に寄り添った酒造りを続けています。イベントや食文化とのコラボを通して、“姫路らしい日本酒”の魅力を発信。地元を愛し、地元に愛される女性杜氏はどのようにして誕生したのでしょうか。
川石 光佐(かわいし みさ)さん
1978年生まれ。姫路市出身・在住。「姫路灘菊酒造」の三女として生まれる。「東京農業大学農学部醸造学科」を卒業後、南部杜氏・鎌田勝平さんのもとで3年間修業。2020年、代表取締役に就任し、現在は会社の運営に関わりながら、杜氏として自ら酒造りに携わる。西播磨の米と気候に合った酒の開発や地域イベントを通して、酒と食の楽しさを発信し続けている。
蔵元自らが仕込む酒造りへの道

創業115年を迎える老舗酒造メーカー「姫路灘菊酒造」の三女として、姫路で生まれ育った川石さん。進路について考え始めた高校3年生のとき「東京に行ってみたい」という軽い気持ちで、親からすすめられた「東京農業大学農学部醸造学科」に進学。全国から集まった酒蔵の後継者たちと共に醸造学を学びながらも、親からは「家業を継いで欲しい」と言われたことは一度もなく、当時は酒造りを職業にすることは考えていなかったといいます。ただ、学ぶほどに醸造の奥深さに惹かれ、充実した大学生活を送っていました。

転機となったのは、大学3年生のときに行った栃木の酒蔵での実習。酒造りにおける最高責任者である「杜氏(とうじ)」は伝統的に男性が務めることが多く、女性は携わらせてもらえないことも多かったそう。しかし、実習先では男性と同じように2週間泊まり込みで、早朝5時30分から仕込み作業を手伝わせてもらい、座学だけでは分からなかった酒造りの面白さを実感。「もしかしたら女性の自分でも、いつか杜氏になって、おいしいお酒を造れるかもしれない」と感じ、蔵元として家業を継ぐ決意をしました。
南部杜氏としてスタートラインへ

卒業後は、当時「姫路灘菊酒造」の杜氏を務めていた岩手の南部杜氏・鎌田勝平さんのもとで3年間修業。その後、鎌田さんの引退を機に、川石さんが跡を継ぐことになります。かつて全国各地の酒蔵では、寒冷地の職人たちが農閑期に出稼ぎに来て杜氏を務めていましたが、2000年以降その習慣は衰退。「蔵元自ら酒を造るほうが、自分の思いをカタチにしやすい」と思った川石さんは、杜氏として自ら酒造りを行う決断をしました。
そのとき、鎌田さんから「酒造りには人とのつながりが大切だ」と助言され、県外会員を受け入れていた「一般社団法人 南部杜氏協会」に入会。2010年には同協会が認定する杜氏試験に合格し、南部杜氏の中で女性は3人目、西日本では初となる女性の杜氏が誕生しました。憧れていた“南部杜氏”を名乗れるようになり、「ようやくスタートラインに立てた」と自信を持って、杜氏としての道を歩み始めました。
西播磨の米を使った思い入れのある1本

川石さんの酒造りのモットーは「分かりやすく、楽しく、気軽に」。「姫路灘菊酒造」を代表する純米『灘菊』や大吟醸『酒造之介(みきのすけ)』などの酒の中でも、特にその思いが反映されているのが特別純米『MISA』です。酒造りを始めて10年目に醸造を開始した1本で、自身の名前を付け、パッケージにもこだわっています。「最初は恥ずかしかったのですが、スーパーで生産者の名前の入った野菜なら安心して手に取りますよね。それと同じで、お酒に自分の名前を付けて親しんでもらい、作り手の存在を身近に感じてもらおうと思ったのです」と話す川石さん。
お酒に使用しているお米は、西播磨の気候や風土に合わせて開発された『兵庫夢錦』。市川町産の契約栽培米を使い、最後の発酵段階で甘酒を加えて低温発酵させることで、甘みがありながらも後味がスッキリとした、キレのよい味わいに仕上げました。
コロナ禍で気づいた飲食店を運営する強み

もう一つ、川石さんが精力的に取り組んでいるのが「姫路灘菊酒造」のお酒が気軽に楽しめる飲食店の経営。「お酒と食文化のハーモニー」をテーマに、先代である父・雅也さんが1964年から始め、現在は牛鍋や串カツ、おでんなど、ジャンルの違う4店舗を市内に展開しています。
川石さんが「苦しい時期だった」と語るのが、2020年に、代表取締役に就任してすぐに直面したコロナ禍。酒蔵見学をして、料理と酒を楽しんでもらい、お土産に地酒を買ってもらうというビジネスモデルが崩れ、来客数や売り上げは約9割落ち込みました。「旅行も禁止、アルコールの提供も禁止と、やっていることを全て否定されたような気持ちになりました」と当時を振り返ります。

しかし、その経験を転機ととらえ、YouTubeで酒蔵や酒造りの楽しさを発信。コロナ禍が落ち着いた2022年頃、海外からの来客が増え、ロシア、イスラエル、ポーランドなど、多くの国の人たちに酒と食を通した体験を楽しんでもらえるようになりました。
このとき「やっぱりお酒と食は国を選ばない」と実感したと同時に、改めて飲食店の運営を始めた父・雅也さんに感謝したといいます。「コロナ禍がなかったら、飲食店がある有難さに気付けていなかったと思います」と川石さん。その後、多言語のパネルを作ったり、酒蔵の古い雰囲気を残したり、海外の人たちに興味を持ってもらえるように環境整備に力を入れています。
地域に根差し、世界とつながる酒造り

「新幹線が止まり、交通の便がいいので、どこへ行くにも便利なまちだと思います」と自身の暮らす姫路について話す川石さん。全国から観光客が訪れるだけでなく、祭り文化が盛んで地域のつながりが深いこの環境は、活動を続ける上でも恵まれているといいます。
また、少し足を延ばせば自然があり、豊かな農産物や、海の幸・山の幸がそろっている姫路は、“酒と食の魅力を高める最高の舞台”と語ります。

今後の目標は、姫路の風土を生かした“ここでしか味わえない酒”を造り続けること。そして、酒と食を通して国境を越えた交流を生むこと。「今後も地域の酒蔵同士で協力しながら、体験やイベントを通じて姫路の魅力を発信し、多くの人たちに日本酒の楽しさや驚きを届けたい」と川石さん。姫路ならではの風土と人のつながりが、これからの酒造りをさらに豊かにしていくことでしょう。

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