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Vol.14 自転車旅人 / 西川昌徳さん

  • 更新日:
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世界38カ国、10万キロを旅して——「自分のままでいい」と思えるようになるまで

西川昌徳さん写真

これまでに世界38カ国、10万キロを自転車で旅してきた西川昌徳さん。10代の頃は、将来への不安や、「成功して、何者かにならなければならない」というプレッシャーに苦しんでいました。しかし、旅の中で出会った人たちの生き方に触れることで、「自分のままでいい」と思えるようになったといいます。現在は生まれ育った地域に拠点を置き、オープンスペースの運営や講演会などを行いながらマウンテンバイクジャーニーを続けています。西川さんのこれまでの歩みと、これから描いていく未来についてお話を伺いました。

西川 昌徳(にしかわ まさのりさん

1984年、姫路生まれ。大学時代、国内での自転車旅を通じて人の優しさと繋がりの大切さを知り、卒業後には世界38カ国、10万キロにおよぶ自転車の旅を実現。帰国後は、旅の経験をもとに講演活動やマウンテンバイクジャーニーを国内外で展開。旅と語りを通じて「すべてのひとが自分らしくいられる社会」の実現を目指している。現在は姫路を拠点に、自家焙煎コーヒーと人が繋がるオープンスペースを運営しながら、地域の子育て世代とともに新たな暮らしの形を創造中。旅人としての視点と、生活者としてのまなざしを重ね、地域に根ざした場づくりに取り組んでいる。

衝動に駆られて動き出した人生の旅

自宅での様子

「衝動に駆られる」——。西川さんの人生のターニングポイントには、いつもこの言葉がありました。高校時代、学校の帰り道にふと目にした一台のマウンテンバイク。その瞬間、「これだ」と直感したといいます。その後、それは人生の伴侶ともいえる、なくてはならない“相棒”との出合いとなりました。お小遣いで購入したその自転車で、近畿一円を1週間かけて駆け巡る旅へ。当時は、その行動がのちの生き方に繋がっていくとは思いもよらなかったと振り返ります。

高校時代

高校卒業を間近に控え、周囲の同級生たちが次々に進路を決めていく中、西川さんは明確な将来像を描けず、ただ流されるようにして大学へ進学します。しかし、大学入学後まもなく、人生を大きく揺るがす出来事となったのが、幼なじみの突然の事故死でした。「彼は自分の意志を持ち、才能も人望もあり、僕にとっては理想的な生き方をしているように見えました。わがままな一面もありましたが、誰からも愛される、裏表のない人。尊敬していた友人でした。そんな彼に、最後に何もできなかった。そして、自分がただ時間をつぶすように生きていたことが情けなかった」。その後悔は半年以上、西川さんの心に重くのしかかることになります。

自転車との再会、価値観を揺さぶった出会い

愛車の自転車

転機となったのは、亡くなった友人が夢に現れた翌朝のこと。「自分の想いを実現する、後悔のない人生を生きたい」——そう決意した西川さんは、ちょうどその頃、興味を持っていたファッションの本場を訪れるため、航空券だけを手にしてイギリスへ向かいます。宿も行き先も決めずに飛び立った結果、現地で路頭に迷うことに。しかし、偶然にも街中で高校の同級生と再会し、助けられました。この経験が、「とりあえず行動すれば、なんとかなる」という根拠のない自信を生んだのです。 

その後は大学に通いながら、バックパッカーで海外を旅しては蚤の市で服を買い付け、地域のフリーマーケットで販売する活動をスタート。そんな中、バックパッカーとして訪れたオランダの宿で、70歳の日本人男性と出会います。「これから3週間かけて仲間とドイツまで自転車で行く」——その一言に衝撃を受けたことが、しばらく距離を置いていた自転車と再び向き合うきっかけになるのです。 

自転車旅のメンバーに「なぜ旅をするのか」と尋ねたところ、返ってきた言葉は、今も心に残っているといいます。「朝起きたら、“今日も生きてるな”って実感できる。自分の足で進んで、食べ物も水も寝る場所もすべて自分で調達し、人と関わりながら暮らしをつくっていく。それが、生きているという感覚なんや」。これまで西川さんが持っていた「夢や目標を叶えることが人生の正解」という価値観が、大きく揺さぶられた瞬間でした。

そこから再び自転車と向き合い、大学卒業後、日本一周の旅を実現。自分で判断し、自分で動かなければ生きていけない。世界を走りこの目で世界と出会いたいという思いから、次は世界を舞台にした自転車旅に挑戦したいという、西川さんの夢へと繋がります。

世界を巡って気づいた「人の本質」

自転車旅の様子

日本一周旅のあと、アルバイトで資金を貯め、世界を巡る自転車の旅が始まりました。大阪から船で渡った上海では、言葉が通じず宿でも門前払い。明かりを求めて自転車を走らせた先で、ガソリンスタンドの店員に警察を呼ばれたこともあったといいます。ところが、その場で思いがけず、寝る場所と食事を用意してもらいます。その後も、身の危険を感じるような体験をしながら、それ以上に多くの人に助けられ、旅を続けていくことになります。

ひとの本質に気づいた旅

そんな経験を重ねる中で、西川さんは、歴史や文化、宗教が違っても、“人の本質”は変わらないと気づきます。「貧しい国でも、物がなくても、“お腹は空いていないか?泊まる場所は決まっているか?決まっていないならうちに泊まっていきなさい”そんな風に、みんなが手を差し伸べてくれました」。スペイン語圏では、出会ったばかりの相手から「ミ・カーサ・エス・トゥ・カーサ(俺んちはお前んちや)」と何度も声をかけられたといいます。自分が多くの人に“生かされている”と実感するとともに、一人の存在として迎え入れてもらえることに強く胸を打たれました。

日本で当たり前だった「成功しなければならない」「何者かにならなければならない」という感覚は、そこで静かに揺らぎました。「人は生きてそこにいることがすでに奇跡であり、大切なこと。そして人は誰もが、大切な何かを持って生きている。社会的な成功や評価ではなく、“今ここにいる意味”や“自分にしか果たせない役割”を見つけること。それが人を本当の意味で輝かせる」——西川さんは、旅を通してそう確信するようになりました。

姫路を拠点に、自分らしく生きる場づくり

講演活動

帰国後、西川さんは子どもたちに向けた講演活動を始めます。初めて行った太市小学校では、子どもたちが目を輝かせてたくさんの質問をしてくれたそうです。「自分の夢を叶えたい。どうしたら実現できますか?」という問いかけに、自分の経験が誰かの役に立つかもしれないと実感。講演の謝礼を受け取ったことも、大きな手応えとして心に残ったと話します。

マウンテンバイクジャーニー

その後は、自ら講演を売り込み、アルバイトをしながら活動を継続。日本一周で訪れた町が東日本大震災で被災したことをきっかけに、2年間、ボランティア活動にも携わりました。

旅の様子

SNSを通じて集まった子どもたちと自転車で旅をする「マウンテンバイクジャーニー」も展開。その活動を支えていたスタッフのひとりが、後に妻となりました。

暮らしの中で、人と人が繋がる地域を目指して

仲間の一人が家族に

当初、姫路に戻るつもりはなかったという西川さん。熊本のオルタナティブスクールを拠点に、子どもたち一人ひとりがその子らしく生きるための教育に共感し、運営に関わっていました。しかし、子どもの誕生を機に、「自分が育った環境で子育てをしたい」と思い、姫路に戻る決断をします。

コーヒーの自家焙煎

自然が残り、人との繋がりが今も濃く残る場所で、自宅の横にオープンスペースをつくり、コーヒーの自家焙煎を開始。通りがかった人、野菜を届けに来た人がふらりと立ち寄り、コーヒー片手に自然と会話が始まる、そんな光景が日常にある場所です。

「縁側であいさつしながら話すような感覚で、コーヒーをふるまっているだけ。“暮らす”ことは、もらうだけではなく“与える”ことでもあるという考えを大切にしています」と西川さん。かつての自分が、旅の中で受け取ってきた愛情や優しさを、今度は暮らしの中で身近な人に手渡していきたい——そんな思いが、この場所には込められています。

スキヒメメッセージ

「姫路にはおもしろい人がたくさんいる。昔から大切にしてきたことを、“今の形”で積み上げている人がいる」。そう話す西川さんは、これから親子でのサイクリングやキャンプなどを通して、子育て世代がもっと自由に、楽しくつながれる場を広げていきたいと考えています。

“だれもがその人らしくいられる環境”をつくること。そのサポートを続けていくことが、西川さんが描く、人生の現在地なのです。

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