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    圓教寺愛宕社本殿

    • 公開日:2013年5月2日
    • 更新日:2019年5月8日
    • ID:1972

    名称

    圓教寺愛宕社本殿

    概要

    圓教寺は、姫路市街地の北西部にある書写山の山頂に位置する寺院で、性空上人が康保3年(966)に開かれた天台宗の古刹である。
    愛宕社は、重要文化財大講堂の北側斜面に位置し、三つの堂を見渡せる位置に南面して鎮座する。元徳3年(1331)3月5日、落雷により大講堂、食堂、常行堂等が消失した。この元徳の大火を受け、火伏せの神として愛宕社が建立されたものと伝わっている。愛宕社に関する文書、史料等は乏しく、建築年代、由緒来歴等は定かではないが、様式から18世紀初頭を降らない頃の建築であると推定できる。
    一間社流造栩葺で、一回り大きな覆屋の中に収められている。正面、側面の三方に樽縁を廻し、脇障子を置くが、高欄は設けていない。身舎は軸部は円柱で床下まで円形に造り、四方に内法長押、切目長押を廻す。正面および側面は内法長押下および切目長押の上には半長押を置き、正面は小脇板を立て、両開きの板戸を吊る。側面および背面は横羽目板を張る。向拝は大面取りの方柱で、江戸期の圓教寺の建築の方柱に共通した特徴である大きな面取りがほどこされている。木階七級、浜床を置くが、浜縁は付けない。向拝柱間には虹梁状頭貫はない。軒廻りは二軒繁垂木で、飛檐垂木には反りも見られる。ただし身舎の正面は一軒とし、その垂木を打越して向拝の地垂木とする。屋根は栩葺きに箱棟を載せ、菊紋の鬼板を据える。
    身舎の組物は出三斗で、頭貫は二方に木鼻を出す。向拝組物も出三斗とし、海老虹梁で身舎と繋ぐ。身舎、向拝とも木鼻および肘木先端に繰形が付く。妻飾りは虹梁大瓶束とする。木鼻は基本的に拳鼻であるが、大瓶束上部の木鼻のみ象鼻である。
    規模は小さいが、時代としては装飾の少なく簡素な造作の本殿でまとまりもよく、17世紀末から18世紀初頭の一間社流造栩葺の本殿として貴重な建築である。若干の後補があり、一部破損が見られるものの、覆屋に覆われているため全体として保存は良好である。

    所在地

    姫路市書写2968

    写真

    圓教寺愛宕社本殿の写真