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Vol.23 水産業者 / 中村知弘さん

  • 更新日:
  • ID:32951

4千人の島「家島諸島」で海苔とともに人の繋がりを紡ぐ

中村知弘さん写真

播磨灘に浮かぶ家島諸島。有人である4島でかつては1万人を超える人が暮らし、漁業とともに歩んできた島で、今も海と向き合い続けている人がいます。代々続く水産業を継ぎ、家島本島で海苔の生産や魚の養殖を手がけている中村知弘さん。「自然相手の仕事は、何年やっても思い通りにならない」。その言葉の奥にあるのは、海と共に生きる覚悟、そして“家島を中心に人が繋がる未来”への静かな思いでした。

中村 知弘(なかむら ともひろさん

1980年生まれ。家島出身。代々続く水産業の家に生まれ、20歳ごろから家業に携わる。海苔養殖・加工を中心に、漁業に携わる一方、SNSでの発信や「家島フェス」の立ち上げなど、島の魅力を内外に届ける活動にも力を注ぐ。

船に憧れた少年時代。父の背中を追って進んだ「漁業」への道

タンクの様子

先祖代々、魚の養殖や海苔の養殖・加工を行う水産業の家に生まれ育った中村さん。「船が、とにかくかっこよかったんです」。幼いころから、漁に出る父の背中と船祝いの日に掲げられる大漁旗に、憧れを感じていたそう。海の上で働く大人たちの姿は、強く記憶に刻まれていました。 

「最初から“絶対に継ぐ”と決めていたわけではない。でも、船に乗ってみたいという気持ちは、ずっとありました」。尊敬していた父の働きぶりに触れるうち、20歳を過ぎたころから、自然と家業を手伝うようになります。

初めて握った舵。自然の厳しさと向き合う現場

船の舵を手に取る

漁を手伝い始めた当初は、見よう見まねの日々が続きました。それでも少しずつ任される仕事が増え、ついに船の舵を握ることに。「初めて舵を握った日のことは、今でも忘れられない」と中村さんは振り返ります。 

憧れの船を自分の手で動かすうれしさと同時に、風や波、潮の流れによって一変する海の厳しさを痛感。着岸一つとっても思うようにはいかず、操船の難しさを身をもって知ることとなります。そしてそれは、20年以上の経験を重ねた今も変わりません。「自然相手の仕事は常に危険と隣り合わせ。何年経っても“慣れる”ことはない。その都度、自分で手網を握るしかない」といいます。

手仕事と長年の経験が欠かせない海苔づくり

最終商品

昔から、海苔の養殖や加工をはじめ、水産業に経済を支えられてきた家島。しかし、担い手の高齢化や後継者不足、海の環境変化などの影響により、現在では海苔の生産者は約10軒ほどにまで減少しています。

その中で「中村水産」は、今も海苔の養殖から加工までを一貫して手がける貴重な一軒。伝統の技術を守りながら、日々の海の状態を見極め、質の高い海苔づくりに取り組んでいます。

乾海苔

「中村水産」の工場で、現在も変わらない製法で手がけるのは、焼く前の「乾海苔」。約50年前に大型機械を導入しましたが、今もなお全自動ではなく、人の手に頼る工程が多く残っています。網張りを行う11月中旬から最盛期の2月初旬までは機械をフル稼働。特定技能実習生を含む4人で、朝・昼・晩と交代しながら、ほとんど休みなく工場を回します。

作業の様子

海苔づくりは、雨や風、気温など、自然のさじ加減に左右される、繊細な仕事です。天候を読み、刈り取りの時期を見極め、タンクでの貯蔵と熟成時間を調整する。さらに8台のタンクの空きを計算しながら全体を回していく――。一つひとつの判断に、長年培った経験と勘が問われます。

どれだけ経験を積んでも、自然は思い通りにならない。今年は昨年の好漁から一転、例年の半分ほどの出来になる見込みだそう。それでも中村さんは気持ちを切らすことなく、「自然相手の仕事やから」と静かに語ります。抗えない現実を受け止める、その覚悟こそが漁師のプライドなのかもしれません。

日常を“非日常”に変えたSNS

SNSでの発信

4年ほど前から始めたSNSでの発信。そのきっかけは、友人の紹介で知り合った漁師の「漁と家島の魚の魅力を伝えたい」という一言でした。 

自分たちにとっては何気ない日常のワンシーンも、動画にすれば新鮮に映る。そう気づき、YouTubeやInstagramで発信をスタート。産地や自然環境によって異なる海苔の味わいや、海で働く姿を届けていきました。

発信を続けるうちに反応は少しずつ広がり、道の駅や妻鹿漁港、ファーマーズマーケットなど販路の拡大にも繋がります。「でも、個人だけが前に出てもあかん」。視線は、次第に“島全体”へと向かっていきました。

人が人を呼び、島が動いた——「家島フェス」という挑戦

家島フェス

青年団の団長として島の行事に関わってきた経験、そして家島で100年近い歴史を持つだんじり船。「この文化を、もっと多くの人に知ってもらいたい」。その思いから生まれたのが音楽イベント「家島フェス」でした。島中の会社や関係者を一軒一軒訪ね、協力を呼びかける日々。前例のないゼロからの挑戦でした。

迎えた当日、だんじり船の上で響く音。会場に用意された460席は全て埋まり、立ち見が出るほどの熱気に包まれました。フェスをきっかけに、それまで接点のなかった島の人同士が自然と声をかけ合うように。ばらばらだった糸が、一本に繋がった瞬間でもありました。

今や「家島フェス」は、島の人たちの思いが重なって続く夏の風物詩。中村さんの挑戦は、島全体の力へと広がりました。

家島の海苔を世界へ!

家島のり

SNSでの発信を続ける中、ある日、中村さんに「海苔をニューヨークに住む娘へ送りたい」というメッセージが届きます。伊丹空港で「家島のり」と出合い、そのおいしさを海外で暮らす娘に届けたいと問い合わせてくれた人へ海苔を送った後日、中村さんのもとには感謝の言葉とともにNYの街並みを背景に、「家島のり」が写る写真が。

「家島の海苔を世界へ!」――その瞬間、可能性は海を越えました。

スキヒメメッセージ

「海苔づくりも、フェスも、SNSも。全部、家島があってこそ」。家島を中心に、人と人が繋がり、その輪が少しずつ外へ広がっていく。中村さんは今日も、海と島、そして人のあいだに立ち続けています。

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