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Vol.33 鍛冶師 / 明珍 宗敬さん

  • 更新日:
  • ID:33605

受け継ぎ、挑み、そして未来へ。城下町が育んだ手仕事の美「明珍火箸風鈴」

明珍さんの写真

深く長い余韻を残す神秘的な音色が、心と体を優しく包み込む「明珍火箸風鈴」。姫路を代表する伝統工芸品の一つである銘品は、音のプロフェッショナルたちからも高く評価され、オーケストラの演奏や映画の世界観をつくる効果音として使用されています。火箸風鈴の仕上げ作業を担う長男、刀鍛冶として活躍する次男と共に、家業の歴史を紡ぐ53代目当主・明珍宗敬さん。その音に込められた匠の技と、ものづくりへの熱い思いに触れます。

明珍 宗敬(みょうちん むねたか)さん

1976年、姫路市生まれ。東洋大学を中退し、父である52代目明珍宗理氏に弟子入り。明珍火箸風鈴の製作に勤しむ傍ら、姫路城の「平成の大修理」では使用される釘の製造を手がけた。2021年に53代目当主を襲名。近年は米国の大学で火箸鍛冶の実演に力を注ぐなど、国内外へ日本のものづくりの技を発信している。

一家相伝の技を平安から令和へ

作業中のようす

カンカンカンカン……。赤く燃え盛る鉄を金づちで打つ音が、静かな工房にリズムよく響きます。鉄を焼く炉の中はコークスで熱せられて1100度に達し、5月ともなれば冷房のない工房内は温度計が振り切れるほどの暑さに。「夏場は1日で3キロほど痩せることもありますが、仕事に夢中になっていると暑さなんて忘れてしまうんですよ」と宗敬さんはこともなげに話します。

明珍火箸風鈴

平安時代から続く甲冑師の家系である明珍家。その当主を務める宗敬さんは、一家相伝の手打ちによる鍛鉄技術を守り、「明珍火箸風鈴」の製作に取り組んでいます。長さや太さ、形が均一な火箸をつくるまでに3年かかり、特有の澄んだ音が出るようになるまで5年、技の確かな手応えをつかむまでに10年。目視で鉄の焼き加減を見極め、体に染みついた力加減でひと息に打ち込みつくられる火箸風鈴は、心の琴線に触れる清らかな音色を奏でます。

自分と闘い続けた修行時代

鉄を打つようす

宗敬さんが父である52代目宗理さんに師事し、鍛冶師として歩み始めたのは22歳のとき。「親父やお袋、叔父が汗水流して必死に働く姿を間近で見て育ちました。その影響は大きく、小学校の文集に、将来は鍛冶師か宮大工になりたいと書いたことを覚えています」。

 三男である宗敬さんは、家業を継ぐよう求められたことはなく、その道に進むべきか心が揺れた時期もありました。東京の大学に進学し経済学を学ぶ中で、大手企業から就職の誘いを受けたこともあったそうです。けれども宗敬さんの心を動かしたのは、やはり幼い頃から見てきた家族が工房で懸命に働く背中でした。「一日でも早く親父の力になりたい」と思いを強くし、大学を中退。姫路へ戻って家業の道に入りました。

失敗した作品たち

「親父は昔気質な厳しい人で、手取り足取り教えてもらったことはありません。その姿を真似て、来る日も来る日も鉄を打ち続け、失敗を繰り返しながらも、わずかな成功に一筋の光を見いだしていました。毎日が自分との闘いでしたが、まったく苦ではなく、とにかく夢中でした」と修行時代を振り返ります。

父の生き方にならい、日々挑戦

チタン製のおりん

家業に入り、宗敬さんが改めて実感したのは、父のものづくりに注ぐ探究心の強さと、どんなときも火箸づくりを継続してきた胆力の強さでした。 

武士の時代が終わりを告げた明治維新以降、甲冑の需要は急速に失われ、全国の明珍家で多くの職人技が姿を消しました。その中で唯一、伝統の火を絶やさなかったのが姫路の明珍家です。当時の生活必需品であった火箸に着目し、鍛鉄技術を火箸づくりに応用しました。しかし、第二次世界大戦で鉄が手に入らなくなり、戦後は生活の変化によって火箸の需要が激減してしまいます。

この窮地を救ったのが、「火箸を風鈴にしよう」という宗理さんの発案でした。火箸が触れ合ったときの透き通る音を長年にわたって追求し、1965年に「明珍火箸風鈴」が誕生しました。宗理さんの柔軟な発想力は尽きることがなく、日本刀の原料として知られる希少な玉鋼(たまはがね)を用いた火箸を生み、チタン製の風鈴やおりんの製品化へと繋がっています。

火箸が売れない時代も火のそばで働くことを貫き、明珍家の歴史と家族の生活を守った父。その芯の通った生き方に、宗敬さんは深い尊敬の気持ちを抱いています。

インタビューのようす

父の志を引き継ぎ、45歳で53代目当主を襲名したとき、宗敬さんの心に浮かんだのは「継続」の二文字でした。それは決して“現状維持”を意味するのではなく、脈々と受け継がれてきた手仕事の技と精神を守りながらも、「親父のように挑戦をいとわず、日々向上心を持ちながら前へ進み続ける」という決意を込めた言葉です。

時代の波に飲み込まれないよう、伝統を敬いながら試行錯誤を繰り返し、時代に合わせてつくり方を磨き続けているという火箸風鈴。「親父やご先祖さまに納得してもらえる音が出せているか、自信を持って世に送り出せるものになっているか」と自らに問いかけながら、精進を重ねています。

人の輪が結んだ出会いに支えられて

作業風景

明珍家の伝統手技が今日まで受け継がれてきたのは、代々の担い手たちの努力に加え、「人の輪があったからこそ」と宗敬さんは繰り返します。

「真心を込めて一生懸命やった仕事は、自然と世の中に伝わり、人との縁を結んでくれます。その縁がまた次の縁を呼び、人の輪はどんどん広がっていく。時には輪の中から新しいものが生まれることもあるんです。私に喜びや生きがいをもたらしてくれる、そんな豊かな経験を幾度となくしてきました」。 

火箸風鈴の音色に魅せられた世界的シンセサイザー奏者である故・冨田勲氏とのコラボレーション、そして米国マサチューセッツ工科大学や東京科学大学で鍛冶実演をする機会に恵まれた背景にも、これまで築いてきた人との縁と多くの人々の支えがありました。

地域の励ましに応え、変わらずひたむきに

工房でのようす

工房で日々仕事をする中でも、宗敬さんは人の輪のありがたさを噛みしめています。

「火箸風鈴は私一人の手だけでは完成しません。風鈴に下がった短冊は、先代からお付き合いのある地元の職人さんが紙を調達し、一枚一枚丁寧に手づくりしてくださっています。鉄が手に入らず仕事ができなかった時代には、材料を用立てする方法はないかと、姫路商工会議所の方が奔走してくださったそうです。私だけでなく、親父も祖父も、地域の方々に助けられて今があります」。

城下町である姫路は、古くから多様な職人や商人、文化を支える人々が集まり、互いに支え合う風土が育まれてきました。そのような環境が今も伝統文化や工芸を継続させる力となっているのだと、宗敬さんは感謝を込めて語ります。

人の輪

これまで受けた数々の恩に報い、明珍家に寄せられる多くの期待に応えるため、「姫路にしっかりと根ざし、変わらず一生懸命に仕事に取り組んでいきたい」と真っ直ぐな眼差しで未来を見つめる宗敬さん。火箸風鈴の音色と共に、温かな人の輪が姫路からますます広がっていくことを願いながら、これからもひたむきに鉄と向き合っていきます。

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