Vol.36 塗師 / 砂川隆さん
- 更新日:
- ID:33781
祭りの二日間のために、挑み続ける。四代目塗師が守る姫路の屋台文化

初蝉が鳴き始めるころ、姫路各地で屋台の「虫干し」が始まります。蔵の扉が開き、一年ぶりに姿を現す屋台。地域の人たちが集まり、祭りへ向けた準備が少しずつ動き出します。姫路の人にとって、虫干しは祭りの始まりを告げる風景の一つです。そんな祭りの舞台裏を支えているのが、「砂川漆工芸」の四代目塗師・砂川隆さんです。祭り当日に輝く屋台の美しさ。その裏には、80もの工程を経て仕上げる漆塗りや屋台蔵での保守作業など、職人たちの確かな技術がありました。
砂川 隆(すながわ たかし)さん
姫路市出身。明治40年に初代・砂川重蔵が飾磨本家から暖簾分けを受け、世界遺産・姫路城の城下町として知られる現在の地に店を構えて以来、110年以上にわたり続く「砂川仏檀店(現 砂川漆工芸)」の代表。漆塗りや金箔押し、彩色を本業とし、仏壇の製造・販売・修理のほか、兵庫・播州地域の祭礼に登場する屋台や獅子頭の塗箔、神社仏閣や家屋の柱・梁・床の間の漆塗りなど、幅広い漆工芸に携わる。
祭りの一年は、もう始まっている

屋台の「虫干し」が始まるころ、砂川さんの工房も慌ただしさを増していきます。祭り本番は10月。しかし職人たちにとって祭りは、その何カ月も前から始まっています。播州各地の秋祭りで練り出される屋台は、豪華絢爛な姿で地域の誇りを担う存在。蔵から出された屋台の状態を確認し、傷んだ箇所を修復する。漆を塗り重ね、金箔を整え、祭り当日に最も美しい状態で送り出すための準備を進めます。
祭りが終われば仕事も終わりではありません。翌年へ向けた点検や修理が始まり、また次の祭りへと繋がっていきます。現在、砂川さんが管理や修復に携わる屋台は100台を超えます。
一年を通して屋台と向き合う日々。祭りが近づけば忙しくなり、祭りが終われば次の祭りの準備が始まる。そんな暮らしは、砂川さんにとって子どものころから当たり前の風景でした。
百十年続く暖簾の重み

砂川さんは、明治40年に創業した「砂川仏檀店」の四代目として生まれました。姫路城の城下町に工房を構え、仏壇や神社仏閣、そして播州各地の祭り屋台を手掛けてきた家です。物心ついたころから、工房には漆の匂いが漂い、職人たちが出入りしていました。父親は祭りが近づくと村々へ向かい、屋台の修復や漆の手入れに追われます。砂川さんもその後ろについて現場へ足を運び、村の人たちが大切に守る屋台の上で仕事をする父親の姿を見ながら育ちました。
祭りは年に二日だけ。しかし、その二日間のために一年をかけて準備する人たちがいる。子どもながらに、その特別な世界を身近に感じていたといいます。家業を継ぐよう強く言われたことはありませんでした。それでも小学校高学年になるころには、「自分が継ぐんやろな」と思うようになっていたと、当時を振り返ります。

兄が家業を継がないと話していたことも理由の一つでしたが、それ以上に、「継ぐことが特別な決断やったわけではないんです」と砂川さんは振り返ります。百年以上続く仕事が日常の中に当たり前に存在していたからこそ、重圧を感じるより先に、その世界が砂川さんの居場所になっていました。そして、「自分がしなかったら、この仕事が終わってしまう」そんな思いもどこかにあったといいます。
百十年続く暖簾を背負うことは、運命というより、ごく自然な流れだったのかもしれません。しかし、職人として歩み始めてからは、自分の力を証明したいという思いも強くなっていきます。
37歳で任された最初の大仕事

職人として大きな転機になったのは37歳のときでした。激しい練り合わせで知られる妻鹿(めが)屋台の漆塗りを、本格的に任されることになったのです。それまで父親と並んで仕事をしてきた砂川さんでしたが、このときは強い思いがありました。
「自分に任せてほしい。口を出さないでほしい」。若さゆえの勢いもありました。「自分で一から最後までやりたい」。長年父親の背中を見てきたからこそ、追いかけるだけではなく、自分の足で立ちたいと思っていました。
しかし、いざ任されると想像以上の重圧がのしかかります。祭りの最中に不具合が出れば、「代が替わったからだ」と言われるかもしれない。屋台は美しさだけでなく、激しい練り合わせに耐える強度も求められます。
祭りが終わるまで生きた心地がしなかったと当時を振り返る砂川さん。完成したときに感じたのは達成感ではなく安堵でした。
その最初の一台は、今も砂川さんにとって特別な存在であり続けています。
父から受け継ぎ、自分の仕事へ

もちろん、砂川さんは伝統を受け継ぐだけで満足していたわけではありません。祭り屋台は仏壇とは違い、屋外で使われ、雨風や強い衝撃にさらされます。だからこそ、美しさと強度の両立が欠かせません。漆と布を何層にも重ねる独自の補強方法を取り入れたのもそのためでした。
より丈夫にできる方法を見つければ試す。少しでも良くなるなら手間を惜しまない。「気付いてしまったら戻れないんです」。その言葉には職人らしい探究心がにじみます。

特にこだわるのは曲面の美しさです。磨き上げられた屋台には空や周囲の景色が映り込みます。「電線がきれいに映ってくれたら、少しはうまくできたかなと思うんです、中々そうはなってくれないんですけどね」。胸の中の理想に少しでも近づけられるように。そのためにはいつもその時点での精一杯で向き合います。
独り立ちするまでには、常に“最高の一台”を追い求めるがゆえに、自らの理想の高さと格闘することもありました。「もっと良くできたのではないか」という尽きない探究心に、激しい葛藤を覚えたことも一度や二度ではありません。誰かに指摘されたわけではなくとも、職人としての自分が妥協を許さなかったのです。
だからこそ、その熱量は次の仕事へ、さらにその次の仕事へと、どこまでも注ぎ込まれていく。もっと良いものをつくることでしか、その信頼には応えられない。その誠実な積み重ねが、今の砂川さんをつくっています。
技術だけでは届かない世界

長年仕事を続ける中で、砂川さんの考え方も少しずつ変わっていきました。若いころは、自分の技術で良い仕事をつくるものだと思っていました。しかし今は、それだけではないと感じています。「周りから褒めてもらえる仕事には、因縁果の“縁”があると思うんです」。

どれだけ技術があっても、一人では良い仕事はできません。屋台づくりには大工、彫刻師、錺金具師、縫師、太鼓師など、多くの職人が関わります。細かな打ち合わせをしなくても、お互いの仕事を理解しながら一台の屋台をつくり上げていく。さらに、その先には屋台を守り続ける村の人たちの存在があります。たくさんの人との縁が重なった先に、初めて人の心を動かす仕事が生まれる。そう考えるようになったといいます。
振り返ると、砂川さんの心に残り続ける最初の一台にも、技術だけでは説明できない何かがありました。
良い屋台は、良い村にある

取材の最後に、「どこの村の屋台が良いと思いますか」と尋ねると、砂川さんは少し考えてこう答えました。
「人が集まる屋台が良い屋台だと思います」。
屋台の豪華さや値段の話ではありません。どれだけ立派な屋台でも、地域の人が大切にしていなければ輝かない。反対に、人がまとまり、祭りを大事にしている村の屋台は自然と良く見えるのだそうです。
祭りの日だけでなく、一年を通して屋台を守る人がいる。世代を超えて文化を受け継ごうとする人がいる。そうした積み重ねが、屋台の価値になっていきます。
「屋台は人を集める“装置”なんです」子どもから高齢者まで、同じ屋台を囲み、同じ祭りをつくる。地域の繋がりが薄れつつある今だからこそ、その価値を強く感じているといいます。

現在、大学生の息子さんも家業を継ぐ意志を見せているそうです。かつて砂川さんが父親の背中を見て育ったように、今度は次の世代がその背中を見ています。「息子が一人前になって、一緒に納得できる仕事ができたら、それが一つの区切りかもしれません」。

祭り当日の華やかさは二日間。しかし、その輝きを支える時間は一年どころか百年以上続いています。
今日も工房では、次の祭りへ向けて砂川さんの手が動き続けています。
近年は地域情報を発信するだけでなく、お弁当店の運営やアーモンドバターをはじめとした姫路の食文化を発信するカフェの立ち上げにも携わるなど、人が集う場所をつくり、地域の魅力を次の世代へ繋いでいます。

魅力のご紹介
エリア紹介
くらし
移住を応援
ふるさと納税