Vol.48 和菓子職人 / 衣川 政典さん
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受け継ぐだけじゃ、続いていかない。祭りのまちで和菓子を作る3代目の挑戦

姫路を代表する祭りの一つ、「灘のけんか祭り」。その舞台となる白浜で、松原八幡神社のお膝元に店を構える「衣川(きぬがわ)松陽堂」は、約80年にわたり和菓子を作り続けてきた老舗。現在の屋号では3代目、前身の店から数えると4代にわたって商いを受け継いでいます。そして現在、店を守るのは3代目・衣川政典さん。祭りとともに歩んできた老舗の“これまで”と、新たな菓子作りにも挑戦し続けていく“これから”に迫ります。
衣川 政典 (きぬがわ まさのり)さん
1978年、兵庫県姫路市生まれ。姫路市白浜町で約80年続く和菓子店「衣川松陽堂」の3代目。代々受け継がれてきた職人の技と味を守りながら、時代に合わせた新しい和菓子作りにも取り組む。幼いころから「灘のけんか祭り」が身近にある環境で育ち、店を営む現在も祭礼と深く関わりながら、地域に根差した菓子作りを続けている。
店も祭りも、物心ついたころから身近に

「物心ついたときから、店も祭りも日常でしたね」。そう話す衣川さんは、松原八幡神社のすぐそばで生まれ育ちました。秋になればまち中が熱気に包まれる一方、普段は落ち着いた空気が漂うこの場所で、和菓子屋の長男として店を身近に感じながら成長したといいます。
とはいえ、父から「店を継げ」と言われたことは一度もなかったそう。それでも小学生のころには、「店を続けるなら、いつか自分がやるんだろう」と、漠然と思っていたと振り返ります。
中学、高校では相撲部に所属。高校時代にはインターハイにも出場しました。当時は体重別の階級がなく、高校時代に60kgほどだった衣川さんが、倍以上も体重のある選手と対戦することも。毎日のように続く厳しい稽古で、心身ともに鍛えられました。
その経験は、高校卒業後に始まった和菓子職人としての修業でも、思わぬ形で力になります。父の勧めもあり、大阪の和菓子店へ修業に出た衣川さん。早朝から朝生菓子を仕込み、その後はどら焼きなどの焼き菓子やあん作りにも携わりながら、一つずつ仕事を覚えていきました。
決して楽な毎日ではありませんでしたが、「修業はきつかったですよ。でも、相撲の練習に比べたら全然楽でしたね(笑)」と衣川さん。相撲で培った忍耐力があったからこそ、早起きや慣れない仕事が続く修業の日々も乗り越えられたといいます。
「見て覚えろ」ではなく、人に恵まれた修業時代

写真:間澤智大
職人の世界といえば、「背中を見て覚えろ」という厳しい環境を思い浮かべる人も少なくありません。けれど、衣川さんが身を置いた修業先は、少し違っていました。分からないことを尋ねれば丁寧に教えてもらえ、できるようになったことはきちんと認めてくれる。全国的にも名の知られた職人のもとで、工芸菓子の製作を手伝うなど、さまざまな経験を積みました。
「十代だった当時は気付かなかったんですけど、今、自分が教える立場になってみると、教えて、できたことを評価するって、すごいことだったんだなと思います」。自らが職人として経験を重ねた今、改めてその存在の大きさを感じているといいます。
修業先で過ごした時間は、仕事だけに追われるものでもありませんでした。工房へ向かう途中にあったスノーボードショップをふらりとのぞいたことをきっかけに店の人と親しくなり、休日には一緒に雪山へ出かけ、ハワイへ旅行するほどの仲に。「この人、合うなと思ったら、初対面でもご飯に行ける」という衣川さん。持前の社交性を発揮し、大阪でも自然と人との縁を広げていきました。
大阪で学んだ技術を、姫路で一から学び直す

約3年半の修業を終え、結婚を機に姫路へ戻った衣川さん。大阪で身につけた技術を携えて、いよいよ家業へ――。ところが、待っていたのは“衣川松陽堂の味”を一から学び直す日々でした。大阪の店で学んだ製法が間違っているわけではありません。ただ、同じあんを作るにしても、店によって作り方はまったく違います。大阪で覚えたやり方をいったん横に置き、今度は衣川松陽堂ならではの作り方を一つずつ身につけていく。その並走期間は、約10年にも及びました。
そんな職人人生の中で、衣川さんが大切にしてきた考え方があります。「人を羨むな、っていうことですね。人と比べるからしんどくなるし、人を羨ましいと思うからしんどくなる」。この考え方の原点は、高校生のころ。先輩から何気なくかけられた一言がきっかけでした。その時ストンと腑に落ちたと言います。何においてもだれかと比べるのではなく、自分がやるべきことと向き合う。その考え方は、職人として歩み続ける中でも、衣川さんを支える一つの軸になってきました。思うようにいかないときも周囲に惑わされず、目の前の仕事を一つずつ積み重ねる。その姿勢こそが、苦しい時期にも歩みを止めず、店を守り続けてこられた根っこにあるのかもしれません。
伝統を守るために、変えるものは変えていく

祖父や職人とお店を共にした長い期間を経て、コロナ禍に入るころに代替わりした衣川さん。経営や実務も担い、「これから」というタイミングで新型コロナウイルスの影響を受けることになりました。祭礼は中止になり、卒業式などで使われる紅白饅頭の注文も次々とキャンセルに。店を閉めざるを得なかった時期もあり、不安を抱えながらもまずは店を守ることだけを考えていたといいます。
長いコロナ禍を乗り越えた今、衣川さんが取り組んでいるのは、ただ昔の味をそのまま残すことではありません。例えば、代々受け継いできたどら焼きやあん巻き。基本となる製法を大切にしながらも、昔ながらの“甘いあん”は、今の味覚に合わせて砂糖の量を調整しています。
材料選びにも妥協はありません。以前より仕入れ先の選択肢が広がった今は、さまざまな素材を試し、「自分がおいしい」と思えるものを選ぶように。米粉一つをとっても数多く試し、現在は新潟県産のものを使用しています。

そんな“変える姿勢”を象徴する商品の一つが、フランボワーズやモモなど、洋の素材を羊羹に掛け合わせたスティック型の羊羹です。きっかけは、商工会議所の人から旅先で見つけた商品を紹介してもらったこと。その後、京都で同じようなタイプの羊羹を食べ、そのおいしさに可能性を感じた衣川さんは、自分でも作ってみることにしました。地域の祭礼に登場する村のカラーを取り入れ、それぞれの色に合う味を模索しました。新しい発想と個性的な味わいがSNSやメディアでも注目を集め、店の新たな看板商品の一つになりました。
「伝統は守る。でも、守っているだけでは続いていけないんです。新しいものは、すぐに足を運んで試してみます」。昔からあるものを大切にしながら、新しいものにも臆せず飛び込んでいく。長く続いてきた和菓子屋だからこそ、変わらなければ残せないものがあることを、衣川さんは知っています。
受け継ぐことを強いることなく次の世代へ

「姫路が好きなんです」。そうまっすぐな眼差しで迷いなく話す衣川さん。中でも好きなのが、生まれ育った浜手の人たちの気質です。「浜手の人は、特に言葉が荒いって言われるんですけど、嘘がないんですよ。思ったことをストレートに言うから。その距離感が心地良いんです」。
祭りのまちに生まれ、家業を継ぐことを自然に受け入れてきた衣川さんですが、自身は次の世代に「継いでほしい」と強いることはありません。父から「継げ」と言われなかったように、衣川さんもまた、その選択を本人たちに委ねています。 現在は、和菓子職人として修業経験のある妻が忙しいときの製造を支え、さらに娘婿も店に加わるなど、次の世代へと少しずつ繋がり始めています。

受け継ぐことは、ただ同じものを作り続けることではない。守るべきものは守りながら、味も、商品も、働き方も、その時代に合わせて変えていく。そして、いつか次の世代が「続けたい」と思える店を残していく。
約80年、祭りのまちとともに歩んできた「衣川松陽堂」。昔から変わらないものを大切にしながら、自分がおいしいと思える“次の味”を探して――。3代目・衣川さんの挑戦は、これからも続きます。

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